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2016.12/07 家庭(3)

小此木啓吾著「家庭の無い家族の時代」を20年以上前に読んだが、印象的な表現に「感情の容れ物としての家族」という言葉があった。一方で故ドラッカーは家庭こそマネジメントが重要という言葉を残している。

 

もっとも前者の書籍では、家庭が無くなった家族としての集団の問題を扱っているので、この両者を同じまな板の上で論じることはできないだろう。また、今の時代は、前者のタイトル通りの時代で、それを象徴するかのような事件が多い。

 

当方は時代の流れに逆らって、あくまで家庭を守ってきた。家庭というコミュニティーを作ろうと努力してきた、と言ったほうが正しいのかもしれない。この努力の結果は、仕事のやり方も変えた。会社で実験を行い、そのまとめを家族が寝てから行うようなスタイルになったのだ。

 

すなわち自宅に会社のデータを持ち帰るスタイルである。当時は今ほど情報管理が厳しくなかったことや、仕事を持ち帰ることが常識化していた時代でもあるので、自然とそのようなスタイルになった。

 

このようなスタイルになっておもしろい発見があった。新しいアイデアというものは頭の中の切り替え回数が多いほど出やすい、ということである。仕事だけではなく、家庭の中にも様々な問題が発生する。全く異質な問題を同時に考えなければいけない時もあるが、面白いのはそのような作業で視点の広がりに気がついたのである。

 

家族との会話も大切である。ストレスがたまるとその余裕が無くなるが、その余裕の無くなった状態を家族との会話から知ることができる。仕事に追い詰められているような状態では良いアイデアが出にくいと感じているので、家庭があることで自分の状態を客観的に捉えることができるのは都合が良い。

 

ワークライフバランスが世の流れだが、家庭を大切にしようと努力すれば自然にそのバランスがとれると思っている。不器用を理由にその難しさを語る人がいるが、働く時には貢献を心がけ、家庭を大切にする気持ちを持ち続ければ何とかなる。

 

高度経済成長の時代にマイホーム主義やスーダラ社員などという言葉が時代の象徴として新聞に載っていたが、一方でモーレツ社員の時代でもあった。次第に重要なコミュニティーである家庭が崩壊していき、労働と生活のバランスをとれなくなった。

 

会社で上司に叱られたとしても家庭があれば癒やされる。上司は2-3年すればいなくなるが(注)、家族とは一生のつきあいである。ごまをするならば上司よりも女房に対してすった方が効果的だ。32年のサラリーマン生活で勘違いしている多くの人を見てきた。

 

給与がそれほど上がらなくなった現代において、改めて家庭の重要性を考えた方が良いと思っている。失われた家庭を再構築し大切にすれば企業の生産性があがる、とさえ思っている。

 

(注)会社組織における上下関係を必要以上に大切にしても長い人生では大きな報酬として返ってこない。ここでいう大きな報酬とは数千万円も給与がもらえる役員まで出世することだ。理想的な組織であれば本音で貢献し成果を出せば必ず出世できるはずで、そうでない組織がほとんどだ。組織全体が仲良しクラブになっているのが日本企業の実体で、バブル崩壊後20年という停滞の原因でもある。ひどい会社になると成果の中心人物には何も報いず、その報酬を何もしなかった人に与える組織もある。もっとひどいのは、成果を出しても昇進させず左遷する組織もあった。致命的なのは、会社のPCを私物化し息子にプレゼントしたり、会社に来て何も仕事をせず図書室で本を読んでいる人に降格もできないような組織である。間違った人事はごますりが横行する会社風土を創り出す。もしいくらかけ声をかけても社内風土を変革できない会社があるとすれば、人事評価制度を点検した方が良い。

カテゴリー : 一般

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