2018.09/22 働く喜び
人は遊んでいたほうが楽しいのか、働いていたほうが楽しいのか、という問いの答は難しい。若いころの過重労働の話を以前書いたが、この眠る時間も無かったような過重労働が十分に楽しかった思い出として残っているからだ。
始末書を書かされたり、上司から「趣味で仕事をやるな」と叱られたり、「遅くまで残っているな」と言われたかと思うと、用があって早く帰ろうとしたときに「このデータを明日朝までまとめてくれ」と、どうでもよいデータのまとめを突然帰宅モーションを起こした時に言われたり、その時は、本当はつらかったかもしれないが、今となっては楽しい思い出となっている。
モラールダウンするような上司の言動については、自分がマネジメントをする立場になったときに役立つ反面教師として眺めていたので、今でも「上司としてやってはいけない言動集」として鮮明に覚えている。
今騒がれているパワハラは日常的だった。パワハラどころか業務時間中に上司を自宅に車で送迎するのも部下の役目、という公私混同の慣習もあった。しかし、会社とはそういうものだと思っていたのでパワハラという記憶は少ない。ドラッカーが「働くとは、貢献と自己実現」と書物に書いていたので、黙々とそれを実践していて気がつかなかった。
ところで友人から誘われた土日のテニスツアーは、バブル時代の典型的なシーンであり、その時は楽しかったのかもしれないが、一緒に旅行に行った仲間の大半が結婚しても当方含め友人の数人はそのツアーでテニスに没頭し何もアウトプットを出せなかった。
ただ、この習慣で磨かれたスキルのおかげで留学先のテニス大会で優勝できたが、忖度すべきだったという反省とともにテニスツアーで努力すべき方向を間違えたのではないかと反省をしている。それに比べると、働くことから得られた喜び、貢献による多数の成果と自己実現目標が達成された喜びは異次元のものだ。
今働き方改革が議論されている。残念に思うのは働く喜びの視点の意見が議論の中で見えない。仕事が大量にあったとしても、自分のペースで働けたのなら遊びに近い、あるいは遊び以上の楽しさを味わうことができる、とその経験からいえる。
仕事から自己の成長を確認できるとき、過重労働であってもやり遂げた達成感が生まれる(過重労働はよくないことであるけれど)。一番問題としなければいけないのは、その仕事から働いた人が手当も含め何も得られない場合だ(注)。二番目は、働く人がつらいと思いながらやる仕事だ。
三番目は賃金が出ても明らかに無駄な仕事だ。帰宅モーションで明らかに無駄な仕事を命じられた思い出があってもそれを三番目にしているのは、「残業代を申請します」と宣言して仕事をしていたからだ。上司からは嫌味な部下に見えたに違いないが、手当てが入ったので三番目としている。
(注)サービス残業であっても働いた人の知識に役立つ仕事ならば、知識労働者による将来への投資とみなすことができる。職業にもよるが、仕事から知識という対価が得られていることを知識労働者は忘れてはいけないし、また、それを獲得できるように仕事を自らデザインしなければいけない。若いときに上司から「趣味で仕事をやるな」と奇妙な叱られ方を時々されたが、この上司から無駄な仕事をよく命じられていたので、無駄な仕事を膨らませてそれを研究としてやっていた。「趣味でーー」とは、この時に発せられた叱責であり、命じた上司自身が無駄であることに気づいたのではないかと内心思ったりした。無駄な仕事とわかっても誠実真摯に真剣に取り組めば周囲を啓蒙できる。無駄な仕事と腐ってはいけない。
ところで、これは40年近く前の話だが、上司が少し風邪気味で早引きすることになり朝通勤で乗ってきたその上司の車で当方が自宅まで送ることになった。業務時間中であり、さらに当方はその日多数の仕事を抱えていたので、作業着のまま上司を自宅まで送っていった。おそらく交通の便の悪いところに住んでいるのではないかと想像し、自宅に着いたらタクシーを用意してくれると期待していたら、甘かった。そこにバス停があるからバスに乗って会社に戻れという。交通の便の良いところに住みながらマイカー通勤、さらには翌朝の通勤にも困らない状態という点にも呆れたが、作業着の当方にバス代も出さずバスで帰れと言われたところは少し腹が立った(ありがとうというお礼も無かったが、昔は管理職が偉くいばっていた時代である。平社員を自分の使用人程度に思っていただろうと感じたこともある)。業務中だったので、職場に戻ったときに指導社員に一部始終を丁寧に報告した。若かったこともあり、ドラッカーの視点から見れば公私混同だと思う、という余分な感想まで述べている。数日後上司から頓珍漢な指導を受けた。このような上司がいた時代でも働く喜びを感じていた。
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