2019.01/06 箱根駅伝でケガをした選手
今年の箱根駅伝一区で転倒した選手A君のケガが心配である。昨日のニュースにもこの選手の話題が出ていた。実業団で活躍を期待されていた選手のようだ。今回のケガで選手生命を終えることのないように早く全快されることを祈っている。
この事故について、解説者による、美談にするな、という叫びが生放送中に飛び出した。ケガの程度は本人以外分からない状況で関係者から棄権の判断を出しにくいが、専門家には走り続ければ危険と思われたのだろう。本来監督が棄権を申し出るべきだったろう。
監督は、その場にいなかったので棄権の指示を出せなかった、と言っているが、これは100m競争ではないのだ。十分に選手のケガについて情報を得る時間もあり、適切な指示を出せる時間が十分にあった。
これは、正月早々寝ぼけた情けないコメントである。解説者の美談にするな、という判断が正しかった。できれば、監督は途中棄権を申し出るべきだ、と踏み込んだ解説をしても許される時代である。
「今」、と言う時代は、気がついた人がイエローカードを出すべき時代かもしれない。NHKの「あさイチ」はじめ多くの番組で発達障害を社会問題として取り上げているのだ。その責任のある役割の人が、もし発達障害の場合には正しい判断を出せないかもしれない。
駅伝のような競技で、ケガをした選手の立場で、棄権を申し出るにはかなりの勇気がいることである(恐らく責任感が強ければ多くの人は無理をして走り続ける判断をするものだ。だから、他の役割の人による正しい判断が求められる。経営においても監督役と執行役がある。今回のように選手のことを第一に考えない監督に指導を任せている大学に長距離を目指す若者を高校は送り込んではいけない。)。
特に今回は始まったばかりの一区で、とても棄権など本人は言い出しにくい。TV観戦をしていても選手がかなりの無理をしていることは理解できた。
当方は、サラリーマン時代過重労働に土日返上、サービス残業など無理な働き方をしてきた。しかし、年休の取れるときには申し出にくい雰囲気であっても成果を出していたので堂々と年休をとり(日本では評価されなくなる、とアドバイスをしてくださる上司もいたが)、資本である体力を消耗しないよう努めた。体力があっての知力である。コンピューターも電気が無くなればただの電子部品の塊である。
また、独身時代の冬場の3ケ月は、友人たちに冬眠期間と宣言し一切の遊びを裁ち、土日を勉強時間にあてている。さらに、FD事件が起きたときには、自己の専門領域を変更しなければいけなくても、転職の判断を下してきた(これはサラリーマン人生において最も精神的にきつい判断だった。)。
長い人生において、無理をどのように味わいその状況にどのように対峙するのか、そのツボを考えながら生きてきたが、ケガをした学生にはそのような思考力があったのかどうか。あったとしても「責任感」という重圧から、一つの答えしか選べない状況である。
すなわち、当方が選手であっても、自分が苦労して立ち上げた高純度SiCの事業や専門領域の仕事を捨てて写真会社へ転職したように、長距離ランナーの夢をあきらめて走り続けたかもしれない。A君もその覚悟で走り続けたに違いない(注)。
ここで心配なのは、A君に実業団の道が閉ざされないか、と言う問題である。ニュースによれば半年間は練習できないという。A君には今後人生の岐路になるような事態になっても、今回の自分の下した判断を後悔せず、新たな人生のための学びの機会として頂きたい。
監督は、その役割に誠実真摯であったかを反省して欲しい。そして応援していた人は、その時自分がそれぞれぞれの立場ならばどうするのか、真摯に考えるべき美しくない箱根駅伝だった。往路優勝、復路優勝、総合優勝がすべて異なる面白さはあったが。
(注)今働き方改革が議論されているのは、やや遅すぎたように思われる。むしろ、高度経済成長期にこのような議論がなされるべきだったろう。ゴム会社では、当方が高純度SiC事業を立ち上げたときに、同じ世代のメカトロニクスを担当した若者が突然死したり、これはFD事件が原因で転職後の出来事だが、週刊誌や新聞を賑わすような事件が起き自殺者が出ている。モーレツな時代には、今回の箱根駅伝における「その場にいなかった」監督のように、しかるべき役割の人たちは何もしなかったのである。働き方改革をどのように進めるのか、悩まれている方はご相談ください。また、パワハラ、セクハラ、過重労働など働く立場で無理をしなければいけない人もご相談ください。社会で問題になっている多くのサラリーマンの危機を実体験し学んだ知恵を伝授いたします。
カテゴリー : 一般
pagetop