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2024.08/08 コンピューターサインエス(1)

データサイエンスも含めコンピューターを科学の世界で活用する方法をコンピューターサイエンスと呼ぶそうだ。コンピューターサイエンス、と呼んでいるが、データサイエンスがそうであるように、コンピューターを使った現象解析が、すべて科学的方法あるいは手順になるというわけではない。


コンピューターを使って、科学的方法で現象解析を進めることももちろん可能であるが、コンピューターを使う場合には非科学的方法となりやすい。すなわち、仮説が無くても既存のアルゴリズムを活用し問題解決できる場合など科学の方法とは異なってくる。


あるいは、コンピューターを使って問題解決する場合には、科学的方法にとらわれず、自由にできるといった方が良いのかもしれない。最初は科学的方法でコンピューターを使っていたが、問題解決してみたら、科学的ではなかった、という場合も出てくる。


ロシア生まれのTRIZという問題解決法が流行し、第3次AIブーム直前には、第二次AIブームの終焉を知らせるかのように、アメリカでUSITが生まれている。


これらは、コンピューターを使って、科学的に問題解決を行おうと目指していたが、普及していない。2005年に豊川へ単身赴任した時に、一生懸命TRIZやUSITを定着させようとしていた人がいた。


TRIZやUSITはコンピュータを前提に考案された科学的プロセスを取り入れた問題解決法なので、ペーパーの上でも問題解決に活用可能である。しかし、残念なのは、当たり前の回答しか得られないことである。


当たり前の回答しか得られない方法なので、面倒な手続きを行っている途中で回答が見えてきてしまい、手順通り進めてその回答以外得られなかった場合には、面倒な手続きが何だったのか、普通の人なら疑問に思う。


豊川で仕事をしていた時に、オープンスペースでTRIZ勉強会が開かれていて、そこで入社間もない人が、当たり前の回答しか得られていないじゃないか、と講師に質問していた。


何か険悪な空気になってきたので、割って入って、問題解決法について10分ほど蘊蓄を語り、やんわりとTRIZやUSITの存在を知っているだけでよい、と締めくくった。


義務教育から科学の方法を習い、その方法が身についている人にとって、TRIZやUSITは手間がかかるだけの方法であり、それを使用することがばかばかしく感じるようだ。


ひどい場合には、それを真面目に講義している人は、言葉は悪いが科学の方法を理解していない〇〇(注)ぐらいに見えてしまうようである。USITに至ってはオブジェクト指向のパクリではないか、という側面がある。


科学の方法をよく理解し、身につけておれば、TRIZやUSITをつかわなくても、当たり前の回答やアイデアを少しの手間で出すこと可能で、さらに形式知が身についておれば、ヒューリスティックに回答を示し、科学的な回答と新しいアイデアとの区別も瞬時に行うことができる。科学教育の成果である。

(注)名古屋や大阪では軽い気持ちで使われる言葉であるが、不適切と思われたので、〇〇とした。TRIZの問題は、それを使わなくても、科学的に解ける場合が多い。さらに、少し力量のある人ならばヒューリスティックに答えが見えてしまってもそれを使えと言われたら、やはり○○と言いたくなる。そんな問題解決法である。

カテゴリー : 一般

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