2013.01/18 弊社の問題解決法について<1>
弊社の問題解決法について、「考える技術」という観点で毎日書いてみようと思います。一部すでにこのコーナーで書きました内容も重複して出てくるかもしれませんが、毎日読んだ時に理解を深める配慮とご理解ください。
本能的に問題を解いていた時代から、「考える技術」を生み出し、多くの人がそれを活用するようになったのはいつ頃からでしょう。科学者や技術者の「考える技術」については、物理学者マッハが指摘するように考えることが仕事の専門家の歴史さえもたどることは困難と言われています。しかし、推論などの「考える技術」を駆使した著作物をその歴史の足跡と捉え、哲学書をたどりその一端を知ることはできます。
ただし、難解な哲学書を一般大衆が読んだとは思えませんので、それが分かっても専門家の「考える技術」の歴史がわかるだけです。一方で、多くの信者を擁する宗教の教えを大衆の「考える技術」に入れるというのは少し違和感があります。たとえ心の問題を解決できたとしても科学の問題を宗教の教えでは解けないので、宗教の教えに「考える技術」としての汎用性はありません。
それでは、一般大衆が科学や日常の問題を解決可能な「解く力」に関心を持ち、能動的に「考える技術」を日常生活の中で活用した時代を知るにはどのような著作物を調べたらよいでしょうか。
科学的な論理が注目され、一般大衆が「考える技術」を利用して楽しんだ作品は、恐らく探偵小説が最初と思われます。江戸川乱歩は、探偵小説の定義として「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学」と「探偵小説の定義と類別」の中で述べています。この定義に従う著作物であれば、「考える技術」の参考資料となります。
また、前田彰一著「欧米探偵小説のナラトロジー」では、科学的な語りがされている探偵小説には「一般的な探偵小説」と「倒叙探偵小説」の二つのジャンルがあると指摘しています。「一般的な探偵小説」とは、読者に対し謎の提示から始まり探偵の捜査と推理によってその謎が解き明かされる典型的な探偵小説のことで、「倒叙探偵小説」とは、書き出しで読者に犯罪を見せるという探偵小説の逆の語りで展開される物語のことです。
この探偵小説の歴史を調べてみて興味深いのは、17世紀に哲学者ルネ・デカルトが著した「方法序説」から、1878年にフリードリヒ・ニーチェにより「人間的な、あまりに人間的な」が出版されるまでの哲学と文学が相互に刺激しあいながら、専門家による「考える技術」について議論が展開されてきた時代に探偵小説が生まれ、発展していることです。
すなわち19世紀初めに有名な「モルグ街の殺人」が探偵小説の元祖エドガー・アラン・ポーにより発表され、多くの人に読まれました。続いて書かれた「マリー・ロジェの秘密」や「盗まれた手紙」を含めた3部が探偵デュパンの活躍する典型的な探偵小説として知られています。少年少女名作集などで取り上げられる「黄金虫」は、前著「欧米探偵小説のナラトロジー」によれば探偵小説ではなく謎解き物語というジャンルだそうですが、これも一応探偵小説同様に「考える技術」を楽しめる物語です。
デカルトが演繹的推論をはじめとする「考える技術」をまとめてから、ポーが探偵デュパンを生み出すまで100年以上経っています。おそらく哲学者の道具であった難解な論理学が「考える道具」として一般の生活に浸透するのに1世紀以上の時間が必要だったのでしょう。
そして1886年には、科学的推理を駆使して活躍する世界的に有名なシャーロック・ホームズが、イギリス領スコットランド生まれのコナン・ドイルにより著された長編「緋色の研究」に登場します。しかしこの作品は不評で、その後ドイルは一度探偵小説をあきらめますが、アメリカのストランド誌の編集長が、リピンコット誌に発表された「四つの署名」を見て彼の作品のヒットを確信し短編の連載を依頼したので、60作近くの探偵ホームズものを書くことになります。その結果は、探偵ホームズがアメリカ生まれと誤解されるほどのヒットとなりました。
この流れを受けて20世紀前後には本格派探偵小説の黄金期を迎え、アガサ・クリスティーやヴァン・ダインなどが登場します。オースティン・フリーマンの「歌う白骨」という倒叙探偵小説は、この黄金期を象徴する作品として発表されています。
ところで、ナラトロジーの観点では倒叙探偵小説は表現形式の新型にすぎませんが、一般的な探偵小説と倒叙探偵小説の語りの展開の違いは、読者に思考方法の転換や推論の向きの違いを要求しますので、その比較から「考える技術」の変遷を知ることができます。
ただし、ここでは考える技術のヒントを探るのが目的なので、多数の探偵小説を読み比べて論じるのではなく、読み手に明らかに異なる思考が要求される、一般的な探偵小説と倒叙探偵小説の比較に焦点を絞り、そこに展開された「考える技術」について考察し「考える技術」を磨くヒントを探ります。前者の代表例としてコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズと、後者の例としてテレビドラマですが、本書の「考える技術」に近い思考方法を行っている刑事コロンボのシリーズをとりあげ、それぞれの「考える技術」の特徴について考察したいと思います。なお、説明の都合上一部の作品につきましてシナリオの結末を紹介していることをお断りしておきます。
(明日へ続く)
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