2013.01/30 弊社の問題解決法について<13>
例えば、山田さんが親しい友人である、と仮に決めますと、友人の無事を祈るのは自然な心の動きですので、あるべき姿は「無事である」となります。仮に決めた関係と、答のあるべき姿を加えると、曖昧であった情報は「親しい友人の山田さんが犬に咬まれた。しかし、無事である。」、と具体的になりますが、これはすべて仮に決めていますから真実かどうか不明です。この真実かどうか不明であることが、この場合の問題となります。
知人に山田姓が一人もいない場合には、この情報の曖昧さは親しい友人の場合よりも少なくなります。すなわち山田さんが一般化され、「人が犬に咬まれた」という情報になります。この場合の仮の答、あるべき姿は、平凡な答として「その犬の飼い主のモラル」と決められます。すると、「人が犬に咬まれた。その犬の飼い主のモラルは?」という飼い主のモラルを問う問題になります。
このほかにも問題は設定できる答の数だけ作ることができますが、問題の中には真か偽かを問う問題と、答=あるべき姿の実現を問う問題があることに気がつきます。ところが後者は、あるべき姿を実現できる、という仮の答を設定し、真偽を問う問題に変えることができます。前者は逆に、「無事である」と決めずに、「無事かどうかを明確にする方法」を問う問題に変えることもできます。
すなわち、問題というものは、情報に情報との関係で決めることができる答を付け加えて作りだすことができます。そしてその答となる「あるべき姿」の表現形式を工夫することにより、すべてあるべき姿を実現する問題形式に表現できます。このあるべき姿を使い問題を表現できることが問題の定義につながります。
(明日へ続く)
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