2013.04/02 技術と芸術(照明)
今月の高分子学会誌には、照明技術に使用される高分子材料の特集が載っている。有機ELが1990年代に登場し、その有機ELを使用して平板照明を開発すれば一大事業になる、といって10年も開発を続けた企業がある。それも開発リソースを大量に用いて。技術の視点では有機ELで紙のように薄い発光体が得られるから平面発光体という発想になるが、それでは感性の乏しい技術開発になる。
エジソンにより電球が発明され世の中は夜でも明るくなった。しかし、電球はその発光原理のため形状に制約があり、電球の形状を生かしたランプシェードのデザインが発達した。ステンドグラスを使用したランプは現在でも美的に評価され高価である。エジソンによる発明から21世紀まで電球は照明技術の一角を占めてきた。その形状は技術的制約から規格化されたソケットともにあまり変化せず、ランプシェードの芸術性を高めることにより付加価値をつけ販売されてきた。一時、裸電球と四畳半がもてはやされ、窓の外に神田川が見えたなら最高の景色とされた時代もあったが、電球はランプシェードとともにその意匠性を高め付加価値をつけてきた。
その後蛍光灯が登場してもやはり発光部分の技術的制約からランプシェードとの組み合わせで付加価値がつけられてきた。しかし、電球を点で表現できるとすれば蛍光灯は線として表現でき、すでに平面発光を経済的に実現できる技術になっていた。実際蛍光灯を利用した平面発光の照明も昔販売された実績がある。ただ、平面発光のニーズが大きくなく普及しなかったのである。そのかわり円形の照明技術が発展し、意匠性の自由度が上がった。
すなわち、これまでの照明器具の意匠性は発光部分の技術的制約からランプシェードとの組み合わせで商品化され成長してきた。有機ELの登場で面発光が可能になった、というのは技術屋の単純な発想である。有機EL技術で大きく変わったのは、発光部分の自由な設計が可能になったことである。その自由な設計に寄与できる材料として高分子材料の活躍の場ができたのである。有機ELの平面発光は、意匠として一分野に過ぎない。発光部分の意匠に対する技術的制約が無くなったことが一番の特徴である。そして有機ELでなくとも無機ELでも同じ状況で、無機のほうが有機よりも寿命が長い点において優れている。すなわち、有機ELで平面照明をというアイデアは照明のわずかな市場を目指す企画に過ぎない。LED照明に駆逐される可能性すらある。
新しい照明技術は発光部分の意匠の自由度を上げたことが重要で芸術性の高い発光体実現も可能になった。これまで発光部分とランプシェードの組み合わせで意匠を考えなければならなかったのが発光部分まで意匠として使用可能な時代になったのである。ただ、このような捉え方はなかなか理解されにくいのだろう。芸術学部の学生に様々な照明のデザインをさせて某企業に提案したがLED照明がそのような発展をすると思えない、と一笑に付された。LED照明が平板照明として市場を席巻してゆくのか、様々な意匠性の優れた発光体として進化をしてゆくのか楽しみにしたい。
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