2013.05/16 成功する技術開発(21)
カーボンロッドとSiC単結晶を組み合わせ、それをカーボンが分散したフェノール樹脂でいぐるみ、1000℃で炭化処理後石英ガラスにArガスとともに封入した状態でゴニオヘッドに取り付けた。レーザーでSiC単結晶を加熱しながら四軸回折計で計測を行ったところ、SiCが分解を始める2000℃まで線膨張の様子を観察できた。その結果は、以前この蘭でも紹介したが6HSiCに異方性があることを示すデータが得られた。
このデータが得られたとき、無機材質研究所へ留学してからすでに6ケ月経過していた。本社人事部から電話を受け取り、その内容からI先生が1週間の猶予をくださり、高純度SiCが生まれた状況もすでに紹介した。
高純度SiCの技術が生まれ、ゴム会社がその技術に2億4千万円の先行投資を行って、半導体事業が住友金属工業とJVとして立ち上がるまで8年という月日が過ぎるのだが、その背景にある経営陣の努力は重要であった。
すなわち、研究部門では支持されていなかった企画を、経営陣が育て上げたのである。研究部門では、ファイセラミックスフィーバーの中で、消極的な企画提案しか無かった。積極的に半導体事業を立ち上げるという夢のような提案は、主任研究員レベルでブロックされていた状況だった。8年間のデスバレーを歩いていたときも、さらには転職せざるを得ない事件まで起きたのも、研究開発現場ではいわゆる抵抗勢力の意見の方が強かった。しかし、資金面も含め経営陣の暖かい支援が企画立案時からあったのである。
CIを導入し、社名からタイヤを取り除き、「メカトロニクス」と「電池」、「ファインセラミックス」の3分野を明確に示しエレクトロニクスへの進出を全社方針に掲げ、研究所に埋もれようとしていたSiC半導体事業を経営陣は引っ張り上げたのである。
研究所内で高純度SiCの事業に対しては否定的であった。8年間周囲から大小の妨害も受けたが、JVとして立ち上がるまで、資金面も含め経営陣から精神的な支えとなるような有形無形の支援を受けた。FDへのいたずらが起きたときに考えたのは、その支援にどのように応えるのか、であった。他社とのJVが立ち上がり、半導体冶工具の開発方向も決まり特許出願も済ませた。おそらく周囲は事業としての成功が見えたのだろうと思った。いろいろな想いが去来し、仕事に未練があっても自分が会社を辞めることが最良の道であると判断した。その結果、事業は30年経った今も続いている。
この高純度SiCの事業で最も重要な役割をしたのは経営陣の新規事業を育てようとする意志である。その強い意志は、当時担当者の立場で充分に理解できた。NHKで放映された「日本の先端技術」という録画番組を何度も社内で放映したこともその一例である。宮崎緑のファンになった人もいたようだが、ファインセラミックスフィーバーを伝える意図があったことは明確である。しかし、研究部門は大きく動かなかった。高純度SiCの企画も主任研究員の段階で止まっていた。しかし、その企画は50周年記念論文への応募という形で、経営陣に届けられた。
大企業で経営陣と事業部門の意見が分かれた場合、企業統治が機能していない会社では、社長方針どおりに事業部門が動かない場合がある。日本ではそのような会社が多いのではないだろうか。企業統治をどのように機能させるかはこの20年様々な書籍が出版されてきたように経営の重要な課題の一つだろう。サラリーマンという生き方、ワークライフバランスなどの考え方も定着し、企業経営に「経営環境の厳しさ」を持ち込みにくい状況である。しかし、イノベーションというものは本来多大なエネルギーが必要で厳しさが必ずつきまとう。楽しくイノベーションできる方法があれば、それは究極のマネジメントかもしれない。厳しさを和らげる一つの提案が、弊社の「研究開発必勝法プログラム」である。本プログラムの導入により、例えば研究開発部門の長時間労働リスクを取り除くことが可能となる。
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