2013.07/04 科学と技術(電池)
リチウム二次電池の開発は1970年頃から盛んになり、正極活物質材料がいろいろと研究された。正極材料として層状化合物もTiS2やTaS2などが研究された。1980年には、LiCoO2(層状岩塩型構造)が電気化学的手段によりホストゲスト系としてLiを可逆的に出し入れできることが論文に出ている。そしてその論文には、4Vの起電力があることもさりげなく書かれていた。
以上は1980年頃のLiイオン二次電池の科学の状況だが、Liイオン二次電池の実用化は同じ時期にポリアニリンを正極に採用し、ブリヂストンで成功する。すなわち科学的にホストゲスト系のLiイオン二次電池の可能性が示されていたが、技術として最初に登場したのはポリマーLiイオン二次電池である。この技術は白川先生の導電性高分子の発見に触発されてブリヂストンで企画された。
当時のブリヂストンは、世界ランキング6位、国内ランキング1位のタイヤメーカーで企業名もブリヂストンタイヤ株式会社だった。この時故服部社長は将来のブリヂストンの姿としてタイヤも扱うケミカルデバイスメーカーを夢見ていた。創業50周年を記念してCIを導入し、社名からタイヤを外しブリヂストンと改名するとともに、電池、メカトロニクス、ファインセラミックスの3分野を未来の事業を牽引する3本の柱とした。
この3本の柱が何故決まったか。それは、電池についてはポリアニリンのリチウム二次電池が、メカトロニクスは電気粘性流体やラバチュエーターの技術がそれぞれ育ちつつあったからだ。ファインセラミックスは通産省のムーンライト計画が引き金となり、セラミックスフィーバーが起きていたためである。ファインセラミックスについては、研究陣に投げかけられた宿題となった。
さて、ポリアニリンLiイオン二次電池はどのようになったか。研究開発開始から10年の間に事業化され日本化学会賞まで受賞したが、その後事業を中止したのである。企画した中心人物は転職した。何故かという理由はここで述べないが、多くの本に書かれているLiイオン二次電池の歴史にこの技術が載っていないのが不思議である。当時科学としてポリアニリンLiイオン電池の性能は悪いことは分かっていたはずだが、技術として最初に完成できたのは機能発現の設計をやりやすかったためである。技術の成果としてもう少しとりあげても良いように思う。
この電池という分野は混練と逆の意味で科学と技術の違いを理解するために良い対象である。すなわち、混練では科学的に未解明な現象が多いにも関わらず技術として発展しているが、逆に科学的に解明されたからといってすぐに技術が完成するわけではない事例が電池である。見つかった真理ですぐにロバストネスの高い機能を実現できないのである。
このことを経営者に理解せよと言っても無理で、技術者が誠実に真摯に開発活動を行う事によってのみ、経営者の理解が得られる。賞を目当てに企画したのでは良い事業など企画できない。ちなみに当時のブリヂストンの3本の柱の中で30年以上事業が継続している事例がある。学会発表も最低限に抑制し、ただひたすら事業化に向けて開発が進められた半導体用高純度SiCの技術、すなわちファインセラミックスの柱である。当初の立ち上げは課単位であったが、その後一人の担当者で5年間の開発期間を経て住友金属工業とのJVとして事業をスタートした。
*高純度SiCあるいは電池につきましてご相談事項がございましたらお問い合わせください。
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