2013.09/05 科学と技術(44:アイデアを出すコツ2)
E.S.ファーガソン著「技術屋の心眼」に次のような文章がある。
「目で見、匂いを嗅ぎ、触り、持ち上げ、落とす―――私たちは肉体的感覚の相互作用を通して物を知る。その経験の元締めが心眼であり、思い起こされた現実と思い描く工夫のイメージの座、信じられないほどの能力をもつ不思議な器官である。」
心眼というものを説明した文章であり、勘と経験の元締めが心眼である、と説明している。技術のアイデアとはその心眼で見えてくる、という意味のことをこの本には書いてある。32年間の技術開発経験から同感と思い、若い人たちに実験の重要性を説いたりしてきたが、うまくこれを伝えることができなかった。
K0チャートやK1チャートは状況により書かせたりしたが、その効果を実感してもここまで書けばアイデアが出るでしょう、と効能のよさを労力の寄与と見なし、高く評価してもらえない。そもそも何もしなくてもアイデアが出る状態を望んでいるようにも見える。アイデアとは思いつきという誤解である。血のにじむような経験の蓄積の結果、容易にアイデアが出るようになる、と説明しても、今の若い人には「どん引き」されるだけである。99%の汗と1%の霊感をありがたく拝聴した若者の姿は昔の話である。
優れたアイデアと単なる思いつきとは大きく異なる。しかし、優れたアイデアでも「単なる思いつき」ととらえる風潮があることを知った。例えば30年前ポリエチルシリケートとフェノール樹脂を均一に混合し高純度SiCの前駆体を合成したときに、「当たり前の結果で、君と同じアイデアを持っていたが実行しなかっただけだ」と言った人がいた。
当時の特許を調べてもらえば解るのだが、ポリエチルシリケートとカーボンの組み合わせ、あるいはフェノール樹脂とシリカの組み合わせを前駆体で用いるSiCの合成法特許が存在し、それらの特許には、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂との均一な混合はできない、と書かれていた。実際に実験をしてみても簡単に2相に分離する。また、相分離を抑えるためにポリエチルシリケートを重合し、フェノール樹脂を取り込むようにしてもシリカの沈殿が生じて失敗する。逆にフェノール樹脂の架橋反応を行い、その中にポリエチルシリケートを閉じ込めようとしてもうまくゆかない。
すなわち両者を分子レベルで均一に混合することは一朝一夕にできない技術である。仮にフェノール樹脂の重合条件を科学的に研究しても、あるいはポリエチルシリケートの加水分解条件を研究しても両者を均一に反応させる条件を見つけることは至難の業である(注1)。この組み合わせで分子レベルに均一に混合する方法は当たり前の結果ではないのだ。また似たような前駆体ができたとしても反応速度論で解析すると分子レベルで均一になっていない(注2)。技術がなければ分子レベルで均一な前駆体の合成は不可能で、アイデアを適当に実験で確認しても、せいぜいシリカ粒子とフェノール樹脂を混合したような前駆体ができる程度である。
このアイデアはフェノール樹脂の天井材開発のテーマで耐火試験を通産省建築研究所と行っていたときに、石膏ボードと同じような耐火性能を持った樹脂発泡体ができないのか、と注文があり、水ガラスとフェノール樹脂のハイブリッド発泡体を提供した。フェノール樹脂をご存じの方ならば、アルカリ性である水ガラスをそのまま用いることができないので、それはうそだ、とおっしゃるかもしれない。化学的に正しい表現は、水ガラスから抽出したケイ酸とフェノール樹脂のハイブリッド発泡体という表現になる。
この材料の開発過程で、水ガラスとフェノール樹脂のハイブリッドは難しいがケイ酸オリゴマーとフェノール樹脂のハイブリッドならば簡単にできることを学んだ。ところがケイ酸オリゴマーを水ガラスから抽出するのが大変なのである。また抽出後放置しておくとシリカの沈殿ができる。ただ研究用に石膏ボードと同様の耐熱性を示すスーパー有機発泡体を供給するように依頼されたのでこのような材料設計を行った。
このスーパー有機発泡体は簡易耐火試験で石膏ボードと同様の燃焼特性を示した。しかし、この材料設計では、コストも高く生産も安定にできないのでとても商品にならない。そこでこのスーパー有機発泡体と同等の機能を実現するために、いろいろ設計して軟質ポリウレタンフォームで実績のあった燃焼時にガラスを生成する難燃化手法を組み込み商品化した。研究ではなく技術開発で行い、その過程でポリエチルシリケートとフェノール樹脂の重合も検討したので、前駆体のアイデアが生まれる下地ができた。
高純度SiC前駆体のアイデアは一朝一夕にできた思いつきとは異なるのである。ダンフレームという商品名の硬質ポリウレタンフォームの市場がなくなるかもしれない、という状況における不眠不休の天井材開発過程(今ならばブラック企業と騒がれるような状態)の技術蓄積があって生まれたアイデアなのである。
(注1)仮にフェノール樹脂やポリエチルシリケートの反応速度の解析ができても、実用化に際しては、フェノール樹脂にわずかな水が含まれているため、その水の管理が問題となる。すなわち特定のフェノール樹脂について研究論文がまとまったとしても、安定に生産できる条件がそれで解明されたわけではない。実はこの系について最適化するためにはタグチメソッドあるいはそれに近い方法(例えばクラチメソッド)が必要である。最適化された条件では、安定に前駆体が合成される。また合成された前駆体を用いてSiC化の反応を速度論で解析するとSiOガスが中間体で生成しない機構の結果となる。これは重要なことで、出来損ないの前駆体を用いた場合には、SiOガスを中間体とする反応機構になる。そのような機構で進む前駆体を新技術として紹介している論文もあるが、それはレベルの低い技術論文である。すなわち前駆体高分子の状態でSiC化の反応が制御されているのである。中間体としてSiOガスを生じない反応機構でSiC化が進行する前駆体が本物である。この事実はあまり知られていない。興味のある方はお問い合わせください。あるいは筆者の学位論文をご参照ください。
(注2)前駆体の合成がうまくいったかどうかは、電顕写真でも確認できるが、バルクとして確認するためには反応速度論にもとづく分析が必要である。ゆえにこの前駆体の品質管理の目的で超高温熱重量分析計を開発した。
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