2013.11/10 中日井端選手の話題
井端選手の話題が連日報道されている。野球には余り興味はないが、中日球団の功労者という表現や8ケ月前はWBCのヒーローとか書かれているので相当の大物選手だったのだろう。前年度の年俸も1億9000万円だった、という数値を見ても中日に不可欠な選手だったことが伺われる。
それが3000万円の年俸提示を受けたので退団する事態になった。落合GMは、「戦力外の選手には金額提示をしない。」と、あたかも中日は慰留に努めた姿を世間に示している。これは大物選手やドラフト1位の選手を軽々しく扱うような球団に見られたくない、という言い訳だろう。落合GMならば言い訳をしないと思っていたら、インタビューを聞く限り何か歯切れが悪い。
本当は辞めて欲しくないのだが契約金を3000万円まで下げたいという事情があるならば、それなりの説明をすれば井端選手も大人げない退団行動を取らなかっただろう。スポーツ紙の記事を見る限り両者にマイナスである。WEBには元高木監督が井端選手を叱っている写真まで掲載されている。このドタバタ劇は、ファンあってのプロ野球という現実を無視している。
プロの世界は厳しい。しかし、その厳しさの中にも夢が欲しい。当方も転職や早期退職を行い、組織から退職を促される前に自ら退く道を選んできた。しかし、転職ではセラミックス開発のキャリアでありながら高分子材料開発の業務を選択し、早期退職では起業を理由にして、すべて円満に収まるように配慮し自ら退く道を選んできた。江端選手も退団の仕方があったのではないか。
いかにも中日は功労者でも冷たく扱う球団、というイメージを社会に発信する辞め方である。一方で落合GMは慰留したが意見を聞いてもらえなかった、という発言をして冷たく扱っていないような弁解をするのでそれがますますクローズアップされる。ここではどのような弁解をしても中日というチームのイメージは向上しない。すでに井端選手が背を向けるような辞め方をしているからである。日本人は判官贔屓なので辞めた方に味方する。
今、社会は成果主義で功労者だろうがなんだろうが組織の都合で追い出される時代である。その一方で、組織が個人に礼節を尽くす出来事を稀に見かける。また逆に公共性の高い組織から追い出されても仕方がない人が庶民感覚からほど遠い退職金をもらって厚遇され退職する記事がニュースになっていたりする。前者はほっとして忘れてしまうが、後者は日本社会の問題としていつまでも記憶しているものである。だから前者のような事例が多くなると勤労意欲が沸く社会になるが、後者のような事例が一つ二つあると社会から夢や希望が萎んでしまう。
プロスポーツの世界は庶民に夢を与えることで成り立っているのである。マイナスイメージを社会に発信するような運営は謹むべきであり、スポーツ選手にもその自覚が求められる。サラリーマンにとって夢のような金額を稼いでいる職業という自覚が欲しい。3000万円の年俸で腐った姿を見せられるサラリーマンは、やりきれない気持ちになる。一方年俸が下がっても笑顔の山本昌投手がさわやかに見える。また巨人の谷は「功労者」として配慮され古巣オリックスに戻るという。本音はどうであれ、社会資本が多く投入されるようになってきたので、スポーツの社会に果たす役割をわきまえた行動がスポーツ選手に求められている時代である。退くときの美学を学んで欲しい。
カテゴリー : 一般
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