2014.02/27 「現場力」が新しい科学を生み出す
京大山中先生のiPS細胞によるノーベル賞に続き、若い理系女子小保方博士による「STAP細胞」の発見と現場力による生科学の大発見がこの2年間続いた。後者については研究者の稚拙なミスから週刊紙で騒がれているが、事実は変わらないだろう。
かつて高純度SiCの前駆体を有機無機ハイブリッドで合成する手法を生み出し、この材料の概念自体が新規な時代に日本化学会年会で発表したらこてんぱんに叩かれた。その2年後有機無機ハイブリッドの研究報告が日本化学会で活発に議論されるようになるのだが、この世界初の発表のことなど忘れ去られた。
さらにその前駆体の反応速度論の論文は、研究の発案者で実施者でもあり論文の著者なのに内容を相談した先生が筆頭となり発表された。30年前の出来事だが、科学が技術を牽引していた時代の話である。しかし昨今科学的成果に新技術を生み出すネタが少なくなってきた。さらに科学までも技術のように現場力で生み出される時代になった。
科学と技術は全く異なる概念で、科学は真理を追究することが目的の哲学であるが、技術は機能を実現する方法である。すなわち技術とは人間の本来の営みであり、これを車の両輪で表現する人がいるが、ラジアルタイヤと木製の車輪をつけた台車を動かしていることに気がついている人はどれだけいるのか。
技術では、機能が正しく発現しているのか、あるいは何か不具合が発生しないか見るために「現場力」が極めて重要である。そして何か問題が発生したならば、とりあえず機能を正常化するために対応をとることが大切である。この現場対応には科学的である必要は無い。それこそ機械を金槌で叩いて機能を正常化しても良いのである。大切なことは対策が機能正常化に有効な対策であることだ。だから金槌で叩くのは最後の手段でも行わない場合が多い。
現場力では常に逆から物事を考えることが要求される。なぜなら、現場では目の前の機能不全に対して直接有効な手段をとらなければいけないからである。科学的に正しいからといって、機能不全を解消できない対策を打ったところで問題解決したことにはならない。あくまでも機能を回復できたときに技術的に正しい答になる。
それが例え科学的に正しくなくても技術的に正しければ、科学が間違っているのかあるいはそのような対策を生み出す仮説しか立てられなかった科学の欠陥が原因である。STAP細胞は若いマウスの細胞をスポイトで分離している作業から見つかった。すなわちスポイトにいれた若い細胞には初期化可能な幹細胞が含まれていないのにスポイトからそれが出てくることに疑問を持ったからである。
小保方さんの現場力がそれを見落とさなかった。科学の欠陥として発見したのである。そして科学のしきたりで今騒がれているのである。いくら科学者が騒いでみても「現場力」が新しい科学を生み出している事実は変わらない。
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