2014.05/24 理研の騒動関連(ファーストオーサー)
STAP 細胞の論文における写真捏造問題で新たな動きがあった。写真捏造と指摘された部分について、小保方氏側から、それは共著者の若山先生が担当された写真であ るとクレームが出されたのである。そして小保方さんは写真について責任が無い事と、一連の問題について情報をリークしているのは若山先生だと言って憤慨しているという。
なぜこのような科学者として無責任かつ低次元の発言になるのか不思議である。博 士でありながらファーストオーサーの役割を理解していない、と言わざるを得ない。論文著者の役割について研究分野や研究者により若干異なるかもしれないが、ファースト オーサーとは、その論文の大半の実験の推進責任者で論文全体に責任を持っている人という定義である。さらに大半の実験を自らやっていることが望ましいと言われ ている。
もちろん論文全体を正しく理解して、その論文の内容に責任を負うことができる能力を有していることは当然である。ゆえに学生が教授の下ですべての実験を行っても、論文を教授が書くときにファーストオーサーにはなれない。仮に実験テクニックが優れた学生でも論文の内容を理解していなければ、論文に責任を負えないからである。だから大学で論文を執筆するときにファーストオーサーにして頂けると言うことは、一人前の研究者として認めてもらえることなのだ(注)。
名誉あるSTAP細胞のファーストオーサーにしていただいたのに、新聞報道のような発言が出てくるのは、科学者の責任という問題を考えたときにおかしいのである。当方は高純度SiCの発明から事業化まで行ったが、残念な体験ばかりであった。
例えばSiCの反応速度論に関する研究では、研究の発案から実験装置の開発、そしてすべて実験データを自分で採取し論文にまとめたのに国立T大の先生にその論文を出され、自分はファーストオーサーになれなかったのである。文句の一つも言いたかったが、学位のお願いをしていた弱い立場であった。その他アカデミアとしてふさわしくないことが続いたのでそこで学位取得をあきらめ中部大学で学位を取得した。不純な大学に審査能力は無い、という科学者の誇りを持って学位論文をまとめた。(注2)
科学者の倫理と責任の観点で小保方さんは今回の問題を捉えて頂きたい。科学者が不純になった時、真理の体系は崩れるのである。技術者は不純な事をしてでも機能を実現しなければいけない。そして不純な事が法に触れれば訴えられるのである。法で管理しなければいけない技術の世界と異なり、科学の世界に法律を持ち込むのは間違っている。少なくとも法で裁かなければいけない時点でもう科学の世界ではなくなっているのである。科学の世界とは人の論文にちゃっかりファーストオーサーになっても共著者が訴えなければ許されてしまう世界なのである(注3)。
(注)1年間の研究で何も論文を書けない、というのは、研究室のポテンシャルか学生の能力か、あるいはその両方かもしれないが、研究能力が低いと言わざるを得ない。
(注2)当方は技術者であり、学位は科学者としての側面の大切なエビデンスなので、正しく審査して頂かないと困るのである。学位の品質と偏差値は異なるのである。
(注3)性善説を逆手にとってよからぬ事をする科学者が増えてきて、その結果氷山の一角としてSTAP細胞の騒動がおきたのではないか。
カテゴリー : 一般
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