2014.06/08 カオス混合(2)
昨日は講演前に論文を送って頂いたアカデミアの親切からSTAP細胞の問題に話がそれたが、STAPの騒動では山形大学の研究者の行為と異なり当たり前のことが当たり前に行われていなかったことが気になっていた。もっとも発言内容や行為について何を当たり前として受け取るのかに普遍的な基準は無いが。カオス混合にもカオス状態を実現するための普遍的な基準は無い。まさにカオスである。
忙しい時代である。論文請求を電子メールで受け取っても差出人が見知らぬ人物であれば無視しても問題にならない、という考え方もできる。そこを親切な行為として実行した姿勢がその研究者の普遍的行為として思われたのである。
技術の世界でも同様に普遍的な基準というものは無く、標準的な技術を示すためにISOなどの規格を制定しようという動きが出てくる。混練の世界にはできあがった材料について幾つかの規格はあるが、プロセスについてその規格は存在しない。例えばスペックがまったく同じ二軸混練機を使って混練してもできあがるコンパウンドのレオロジー的性質は全く異なるというケースも出てくる。技術者の経験から作られたそれぞれの基準があるだけだ。未だに「技」と「術」を使いこなせる世界である。
そもそも混練プロセスのような動的な世界では非平衡となっているのでそれを理論的に扱う学問は遅れており、科学的に正確な議論は大変難しい。例えば混練のベスト条件を決める、という場合では、できあがったコンパウンドの物性から手探りで条件を決めてゆく。このような状況では、混練プロセスに用いられた装置の問題は大半が隠れてしまう。
ロール混練ではロール間の隙間を正確に維持できる仕組みが重要となってくる。ただ二本のロールが回転しているだけの状態でどうして混練が進むのか不思議だった。指導社員からカオス混合が起きているかもしれない、と教えられた。カオス混合の研究が始まったばかりのころである。その指導社員は京大出身の神様のようなレオロジストであった。目の前の現象をすべてレオロジーを使い説明してくれた。
説明するだけであれば専門の技術者ならば誰でもできる。その人の凄い点は、ダッシュポットとバネのモデルで説明しつつ、このような説明は10年後に無くなっているだろう、と予測していたことである。すなわちレオロジーの専門家でありながら自分の寄って立つ領域の学問に対して懐疑的であったのだ。このような人であったから現象に対する見方には鋭さがあった。科学の視点と技術の視点を明確に分けていたのである(注)。科学技術というミソクソ一緒の言葉が闊歩していた時代に凄いことであった。
(注)科学では真理を求めることが仕事になるが、技術ではロバストの高い機能を実現することが目標となる。実現された機能にロバストの高いことが要求されるが、それが科学的真理ですべて証明できる必要は無い。技術で為すべき事と科学で為すべき事は異なる。STAP細胞も一度技術を創り上げてから科学の研究を行う、という順序が効率的である。iPS細胞はそのようなステップでノーベル賞となっている。ヤマナカファクター発見は科学的に行われていない。ヤマナカファクターというiPS細胞を作る技術が開発されて、今科学的研究が進められているのだ。
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