2014.10/23 技術の伝承(4)
転職し最初に配属されたセンターが成果を出さず、短期でリストラされたが、最初の業務がセンター長付主任研究員だったのでセンターの状況を理解し活動していた。マネジメント業務を行いながら、アンダーグラウンドで実験を行うために若手の弟子として願い出たりした。
そのとき5つほどテーマ企画のネタを仕込むことができた。いずれのテーマもこのセンターに伝承されているべき技術を前提にした企画である。しかし、基盤技術が無いために、若手のアドバイスに従い実験を行ってもうまくゆかなかったり、実験をしても無駄だというアドバイスだったり、極めつけは他社の特許が大量にあるから実用化できないと言われた。
基盤技術が存在しないような部署だったが、T1社やT2社から転職してこられた当方よりも10年以上年配の上司は、だから苦労している、と言われるだけでマネジメント上の対策を何もしていなかった。
関係部署から依頼された日々のテーマをトコロテン式にこなしているだけだった。中には他部署の人手として活動しているテーマもあった。他部署がどのような状況か調べてみたら、さすがにこのようなひどいセンターは他にはなく、まともな体制で運営されているように見えた。
ある日センター長のアメリカ出張を巡り、センター長と衝突した。時期が悪い上に予算が無い。さらに出張計画そのものが企業の出張として無茶苦茶だった。センター長付の職務をはずされ、転職して1年で窓際になった。
このとき窓際の居心地の良さを味わった。自由に仕事ができるのである。ドラッカーの言葉が正しければ貢献さえできれば給料はもらえるはずだ。窓際は窓さえ開ける努力をすれば社内や社外から貢献が見えるはずである。さらにゴム会社を急に辞めたため宙ぶらりんになっていたT大の学位も取得に向けて努力する時間ができた。これは自己実現の活動である。
窓際は暗いイメージが伝えられているが、窓際なので本来は明るい場所なのである。明るい場所で思いっきり知識労働者として活動すれば必ず立場は好転するはずだ。このあと20年間に2回窓際になるが、最後は窓を開けて外に飛び出す決断を行い、現在に至っている。
ところで、海外出張の手続きは他の管理職により進められたが、経理から案の定ストップがかかり、当方に経理から問い合わせが来た。当方はセンターが赤字の状況を伝えた。海外出張の手続きは経理で業務がストップした。経理の古参の係長がセンター長との衝突の噂を聞き酒で慰めてくれたのだが、元気に振る舞っていたため割り勘になった。
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