活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2015.04/03 実験のやり方(2)

実験は仮説の正しさを確認するために行うので、実験がうまくゆかなければ、立案した仮説が間違いであったことになる。STAP細胞も検証実験でその存在が否定された。一応日本を代表する研究機関の発表なので、STAP細胞が存在することを信じている人はいないだろう。しかし、当方はSTAP細胞は存在するかもしれない、と今でも思っている。

 

実はあの騒動が終結しても、「植物でSTAP現象は起きるが、動物でSTAP現象が起きない」という理由が未解明のままだ。STAP細胞が存在する、という前提で行った検証実験で確認されなかったのだから、STAP細胞は存在しない、と結論が出されているだけだ。これには、イムレラカトシュが指摘した否定証明の問題を含んでいる。

 

イムレラカトシュは科学で完璧に論理を展開できるのは否定証明だけである、と述べた。しかし、その否定証明はそれを否定する現象が見つかった時にどうなるか。脳天気に新しい科学が生まれた、などと喜んでいてはいけない。科学と言う哲学の重大な欠陥なのだ。STAP細胞は存在しないことになっているが、誰かがSTAP細胞を本当に実現したならば、「理研の検証実験はなんだったのか」という批判が起きるとともに、生物科学の体系を見直さなければいけない事態になる。

 

当方は、故笹井氏にSTAP細胞の実験のやり方を手紙に書いて提案したが読んでいただけたのかどうか疑問である。もし読んでいただいていたのなら、あのような結末になっていなかったはずだ。STAP細胞の事件では不幸な出来事ばかりで、結局何も解決されないまま幕引きとなった。疑惑のマウスでは、ES細胞を実験で使用した理由よりもES細胞をどこから入手したのかが問題にされ、これでは一匹のネズミも犬死である。

 

カテゴリー : 一般

pagetop