2015.04/28 科学の重要性(13)
急速に引き延ばされた流れが瞬時に折りたたまれて、カオス混合は進行する。ロール混練ではこれが起きている、と指導社員は教えてくれた。当時この指導社員の話を妄想という人が多かったが、当方は30年間信じていた。
この指導社員は、ダッシュポットとバネのレオロジーモデルを電卓で計算している人だった。ばりばりの理論肌の人で、時々妄想のような話をする面白い人だった。ただその妄想は技術の話で、科学の話ではなかった。しかし妄想よりもすごかったのは、ダッシュポットとバネのモデルは無くなるだろうという予測であった。
そしてこの予測は21世紀の現在当たっているが、少なくとも当時科学と思われていたその手法が廃れることを指導社員以外から聞いたことはなかった。ゴム会社の顧問を務めていた狸に似た京都大学の大教授は、ゴムの架橋モデルをその手法で説明し悦に入っていたし、学会でもその手法開発がレオロジーという学問の重要な研究対象であった。
指導社員をよく知らない人ならば彼を変な人ぐらいにしか見えなかったかもしれないが、身近で見ていた弟子の立場では、妄想は未来予測に聞こえた。だからカオス混合の技術アイデアも30年後に実用化することができた。
技術に問題があるとするならば、科学のようにうまく伝承できないことだろう。科学でまとめられた事柄ならば、たとえ次の時代にそれが真実でなかったことがわかっても、その時代にうまく伝承される。
そして伝承された後、もし真実でないことがわかったならば、但し書きがつけられて次の世代に伝承される。科学では常にその真実が検証されながら進歩している点が重要である。そして技術について、いつの時代でも科学で説明するように努力しなければいけない。
技術の説明者はその技術を開発した人でなくてもよいから科学で記述し、次の世代へ伝承しなければいけない。科学で記述されなかった技術は、伝承されないだけでなく、緻密な特許戦略を立案することが難しいので、他社に権利を侵害されるかもしれない。写真会社でその現実を目の当たりにした。科学の重要性が力説されなければいけないのは、この点であり、問題解決のプロセスでは、科学にとらわれず自由にヒューマンプロセスを実践するのが良いのではないか。
カテゴリー : 一般
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