2015.06/03 私のドラッカー(3)
「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より
「今日の組織は、部族、村落、町という狭い環境から抜け出す自由を与えた。近代組織は教育のある人たちをして知識を働かせ、収入しかも高額の収入を得る機会をもたらした。しかしそこには、意志決定の責任が伴う。自らが何でありたいか、何になりたいかについて責任を負わされる。組織があるべきもの、なるべきものについても責任を負わされる。
そのためには、組織に何を求めるべきか。組織を自らの役に立つものにするためには、自らは何を行うべきか。
したがってわれわれは、組織が一人ひとりの人間に対して位置と役割を与えることを当然のこととしなければならない。同時に、組織をもって自己実現と成長の機会とすることを当然のこととしなければならない。」
ここでドラッカーは、今日の組織社会における、機会としての組織について説明している。ドラッカーのマネジメント論は有名であるが、ドラッカーの書には、個人のあり方がうまく説明されており、マネジメントの教科書として読む以外に、組織人としてどのように振る舞ったら良いかの答えを求めることができる。
ドラッカーの答えが正しいとか正しくないとかの議論は意味が無く、個人が現代の社会でどのように「活」きたらよいのかという問いを持って読むべきものだろう。このとき個人を社会で活用できるよう自分で自分をマネジメントする指南書となる。
昨年「追い出し部屋」と新聞で騒がれたが、何か組織で不満が生じたときに組織を責めてみても仕方がないのである。仕事の成果は、組織を通してしか得られないばかりか、社会への貢献でも組織を通さない場合には、ボランティア活動しか道がなくなってしまうのである。どのような組織でも自己実現と成長の機会とすることを当然のこととして実践しなければいけない。
この意味で組織リーダーである上司の責任は重い。一人ひとりの人間に対して位置と役割を与える責任があり、部下の自己実現の支援をしなければならない。残念ながらサラリーマン生活において、この視点で上司に恵まれなかったが、自らを組織の中で位置づける努力をしてきた。転職や単身赴任、早期退職などのサラリーマンの苦労は自ら選択した結果で、それゆえ前向きにがんばることができる。
転職では、セラミックスの専門家から高分子の専門家へ転身し、単身赴任ではカオス混合技術を生み出した。そして早期退職して、セラミックスから高分子材料まで開発して得た経験や知恵を社会に生かそうと活動している。
このようにドラッカーの書は、個人が組織をどのように活用したら良いのか、と読むことができる。実はドラッカーの書を高校時代に初めて読んでわかりにくかったのは、彼の組織に対する考え方であったが、30数年サラリーマンを体験した後、これを再度読んでみると非常にわかりやすく書かれていることに気がつく。ドラッカーは組織活動の経験者には難解な書ではないのだ。
カテゴリー : 一般
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