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2015.06/16 私のドラッカー(9)

ドラッカーは「傍観者の時代」(1979)で、「テクノロジーとは、教養人やテクノロジストが考えてきたほど簡単なものではなかった。すなわちテクノロジーとは、人間の生産物に影響を与えるだけでなく、人間そのものを規定し、あるいは少なくとも、人間が自らをいかに見るかを規定するものだった。」と述べている。

 

この見解に至る前後で、その時代のテクノロジーに対する考え方を紹介し、「彼らの描くビジョンには、テクノロジーと人間特有の活動としての「仕事」を関連づけるものがないからである。」と、フラーやマクルーハンの描くテクノロジーを批判している。

 

そして「テクノロジーは「人の行い方やもののつくり方」に関わるものである。」と結論している。当方は、この欄の「科学と技術」で書いているように、技術(テクノロジー)は人間の営みそのものと思っている。この考え方は、ドラッカーの影響によるものであると同時に、33年間の技術者生活からたどり着いた技術に対する感想でもある。

 

現在でも暇を見つけて科学情報を得るために学会活動に参加しているが、科学と技術では、その使命が大きく異なっていると思う。科学の使命を忘れ、科学者が機能追求に走ると真理を軽んじるようになる。その結果昨年のSTAP細胞騒動のような事件が、科学の世界で起きたりする。ところが技術の世界で起きる事件は、ノーベル賞を受賞した技術者が、以前所属した会社に和解を申し出たところ、会社からは体よく断られるような人間くささが表面に出る。

 

破格の特許報償を請求し受け取りながら図々しい、というその組織メンバーの心が見えてしまうような大人げない金銭にまつわる構図である。これが技術者ではなく、その人物が科学者で、和解の対象がアカデミアならば円満解決し、話題にもならなかったかもしれない。科学において真理は一つであり、その一つの真理を大切にするのが使命だ。それに対し技術では機能を実現することが使命で、その実現方法は多数あり、気に入らないものは捨て去れば良いのである。

 

ドラッカーが「マクルーハンの洞察のうち最も重要なものは、「メディアはメッセージである」ではないのである。「テクノロジーは道具ではない。人の一部である。」なのである。」と「傍観者の時代」で紹介しているように、テクノロジー(技術)と人間とは切り離せない関係であり、科学の論理だけで技術開発は成功しない。ちなみに科学とは、テクノロジーの道具の一つと思っている。

 

カテゴリー : 一般

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