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2015.06/17 私のドラッカー(10)

2005年の夏は、家族とのしばらくの別れという寂しい思い出の季節となるはずだった。押出成形で高級機用中間転写ベルトを開発する「仕事」を成功させるために豊川へ退職までの5年間単身赴任することになったからだ。ところが外部のコンパウンドメーカーが当方のアイデアを採用してくれなかったばっかりに、自分でコンパウンド製造ラインを半年以内に立ち上げねばならなくなった。その結果、毎週東京へ自費で帰るような生活となった。

 

単身赴任した亭主が毎週のように帰ってくる妻の気持ちはどのようだったか知らないが、子供たちの喜んでくれた顔がうれしかった。しかし何よりも難儀な仕事を格安で引き受けてくれた根津の中堅企業の心意気がうれしかった。設備を発注するまでは、目の前に失敗の二文字が頻繁に現れていた。

 

この仕事は、研究開発も満足にやっていないカオス混合プロセスの実用化という技術開発であり、これが成功する科学的根拠は無かった。むしろχが正となる二種の高分子をコンパチビライザーを使用せず相容させようとするフローリーハギンズの理論に挑戦した非科学的な技術のため科学的に考えると失敗確率がきわめて高かった。

 

しかし科学の論理よりも30年近くの技術経験に裏付けられた機能設計の可能性に賭けた。さらに成功すれば高分子技術、とりわけ混練技術に大きなイノベーションを引き起こすことも魅力的であった。この仕事で実現されるのは、現代の科学で否定される現象だが、ポリスチレンとポリオレフィンをコンパチビライザーを用いず相容させる技術について、ポリスチレンの分子設計という30年以上前の卒論で鍛えた合成技術で成功した自信が、リスクへの心配よりも十分に大きかった。

 

「テクノロジーとは、人が人に特有な活動としての「仕事」を行うための、目的意識に基づく人工の非有機的進化に関わるものである。」とドラッカーは、「傍観者の時代」(1979)で述べている。この言葉の後には、「しかも人の行い方、つくり方、働き方は、人の生き方、人と人との関わり方、自らの見方、そして詰まるところは、人が何であり誰であるかに対してさえ重大なインパクトを与えるものである。そして何よりも、「仕事」とは、人の生活と人生において特別の絆を意味するものである」と続いている。

 

当方は技術者として、仕事の成功に対して不安は無かった。しかし、「たった半年という短期間でコンパウンド工場を子会社で立ち上げる常識はずれな仕事」としてこれをとらえたときに、それを後押ししてくださった元カメラメーカーの上司(注)の意志決定には頭が下がった。この仕事だけはどんなことがあっても成功させる、という「強い気持ち」を久しぶりに持つことができた。部下のリスクを共有する意志決定こそ管理者として重要な仕事である。

 

(注)この2年前に写真会社とカメラメーカーが合体した。この仕事は元カメラメーカーで推進されていた仕事で、上司であるセンター長とは初めて仕事をすることになった人間関係希薄の中での意志決定である。ただ、上司は仕事の中身とその重要性、そして当方の提案がそれらに与える影響を判断できたので、果敢な意志決定をできたのだと思う。ゴム会社ではこのような意志決定ができる管理者が多かったが、日本企業では、リスクも無くだれでもその答えを選ぶ、という状態でなければ決定できない管理者が多いのではないか?リスクを見極めた上でそれを回避できないならば、上司が責任をとる覚悟で意志決定できる管理者は、部下から見れば頼りになる管理者である。カオス混合の技術は、このような管理者の意志決定により生まれた。まさにこの仕事は「人の生活と人生において特別の絆を意味するものである」

 

カテゴリー : 一般

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