2015.07/12 技術者の能力(1)
E.S.ファーガソンは、「技術屋の心眼」で技術が科学とは異なる行為であることを述べている。ただこの書で残念なのは、科学偏重の大学教育に対する批判で終わっていることだ。大学の使命を考えたときに、そこで行われる教育が科学偏重になるのは仕方のないことである。
もし、大学のあるべき姿をたずねたら、科学を追究することだと多くの人は答えるだろうし、当方もそのように思っている。もし大学で技術を扱うならば、工学部で技術なるものを科学的に研究することになるであろう。
最近大学でも面白い試みが行われており、例えば京都工芸繊維大学では漆という伝統工芸を科学の視点で研究している(注1)。そしてその研究のアプローチの方法として職人の動きまでに着目し美が生まれる仕組みについて迫ろうとしている。工学部でも技術に対してこのような取り組みが必要に思っている。当方が学んだ工学部は理学部との境界が無い状態だった。
この欄で当方の科学に対する考え方を何度も書いているが、科学は一つの哲学である。それも真理を追究する方法として、それだけで技術開発できる領域は極めて狭いが(注2)人類が考案した現在最良の問題解決法とみることもできる。論理展開についても技術では許される風が吹けば方式の論理は、科学では許されない。その厳密さから必ず誰がその知識を用いても一つの真理に到達することが可能である。
厳密に定義されているから、だれでもその定義を身につけ学んでいけば、科学の知識を身につけることができる。習得にかかる時間の問題を除けば科学は誰でも身につけることが可能な知識の体系である。だから科学で記述された技術の伝承は確実となり、容易なので、技術を科学的に開発することが20世紀の大ブームとなった。(続く)
(注1)濱田先生が工芸を科学で研究するというアプローチで進めており、大学で理系を選択していない職人が学位取得まで行っているユニークな研究だ。この大学は、一度見学されると面白いと思う。
(注2)科学以外の体系だった問題解決法が重要な理由である。
カテゴリー : 一般
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