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2015.08/07 未だ科学は発展途上(17)

昨日はレーザープリンターの仕組みを簡単に説明したが、中間転写ベルトの性能は、周方向の抵抗偏差以外に基材の誘電率や表面の濡れ性など様々な因子に左右される。押出成形ではつきもののベルト表面の凹凸は、画質に致命的な影響を与える。
 
一つ一つの特性と画質との関係は、科学的推論からおおよそ見当がつくが、一部のパラメーターを除き数値シミュレーションできるところまで解明されていない。おそらくすべてを科学的に完璧に記述するのは不可能だろうと思われる。だからベルト開発で問題が起きたときには職人的発想が科学的なそれよりも大当たりする可能性が高い。ところが、6ナイロンとPPSの組み合わせは前任者が科学的推論を行い考え出したアイデアで問題解決も科学的に行っていた。
 
6ナイロンを数%添加したPPSの材料設計は科学的ではあるが設計者の願望が強い考え方だ。しかしこの仕事を相談されたときに、6ナイロンを選んでいたことにとりあえず感心した。そしてすぐに、科学的に正しくないが技術のチャレンジテーマとして面白い、6ナイロンをPPSに相溶させるという発想がひらめき、サラリーマン最後の仕事として請け負いたい、と思った(注)。
 
ところで、設計者の考え方はこうだった。絶縁体であるPPSを半導体にするためにカーボンを添加したペレットを一流のコンパウンドメーカーに作らせて研究していた。しかし、カーボンの分散が安定しないために、押出成形工程でカーボンが暴れ、ウェルド部分における抵抗ばらつきが異常に大きくなり、ベルトの周方向の抵抗偏差が2桁近くになる問題に遭遇した。
 
そこで、改善策として次の案を考えた。PPSに相溶しない6ナイロンを分散したならば、PPSが海で6ナイロンが島となる海島構造に相分離した高次構造となるだろう。また、カーボン表面には酸化されて生成したカルボン酸があるから、6ナイロンの島に吸着されカーボンの分散安定化を期待できる(これは科学的な願望である)。
 
ここで、6ナイロンがPPSに相溶しないで島相になるという考え方は、教科書にも書かれているフローリー・ハギンズ理論から科学的に正しいといえる。さらに海島の相分離高次構造で島を小さくしたいので島成分を少量添加としたところもよく勉強していると思った。またカーボン粒子表面にカルボン酸が生成していることは論文などに書かれており、彼が採用しているカーボンでは、表面にカルボン酸の多い素材だったので科学に忠実な仕事をする人だと感じた。
 
科学的に正しいと思われる推論でコンパウンドの材料設計をしたにもかかわらず、押出成形で製造したベルトでは期待通りの成果が現れなかった。さらに科学に裏切られる悲劇は続き、電子顕微鏡でベルトの高次構造観察を行っても6ナイロンの海島構造はできており、きれいな均一な構造になっている。カーボンの分散も画像として均一に見えるので、ベルト周方向の抵抗ばらつきが発生している原因がわからない、と言うのだ。
 
形式知だけで成立していない世界において科学一本槍で突き進むと裏切られる現実をご存じない純粋な人だと思った。転職する原因となった電気粘性流体の増粘の問題を相談してきた人もそうだった。形式知だけで成り立つ世界、例えば入試の数学の問題などは、科学的に考えなければ正解は絶対に出ない。しかしそのような世界でもエレガントな解答は実践知で生まれる。
 
その昔大学入試の模擬試験で複素数で計算すると容易に証明できる図形問題を時間が無かったのでベクトルを使い、たった3行で解答して正解となりとんでもない偏差値がレコードされた時にはびっくりした。ところが開発の現場では、時間が十分あっても暗黙知や実践知をフル動員しなければ問題解決できない場合が多い。また、科学的に解決困難な仕事を科学的に進めると否定証明に陥る話を以前紹介している。
 
この相談者の尊敬できる点は、科学的に考え科学的に解析して見通しの暗い結論が得られていても否定的な答えを絶対に出したくないともがいている点である。なんとしても6ナイロンとPPSの組み合わせで技術を完成させたいと当方に相談している。初対面にもかかわらず、当方なら絶対できる、とまで言い切る一途さである。さらには当方が仕事をやりやすいように相談者の役割まで交代してくれるといってきた。
 
後日分かったことだが、開発管理がステージゲート法で行われており、すでにファイナルステージに至り配合処方を変更することができない状態だったのが真相で、これまでのマネジメントも含め、この開発に成功する以外その人の出世の可能性が無くなるという状況だった。二つの会社の合併直後で管理職のリストラが進められている最中だったので、自ら役割を交代してでも、と言いきった点は並の部長ではない、と感じた。
 
どのような事情があっても、科学に反する技術で問題解決しようと決心した当方にはどうでもよい話だった。それよりもゴム会社の指導社員(新入社員時代)から頂いた宿題を定年間近に解決できるチャンスが偶然訪れたのがうれしかった。問題は、残された時間が半年しかない、という点だけだった。ただ、この時間の少なさはこれまでの開発経験を一人部屋でまとめた「研究開発必勝法」を試すのに好都合であった。

 

(注)以前倉庫として使用されていた部屋で一人住まいの見るからに不遇な状況だった。このような処遇でも会社に大きな貢献をするために相談者の問題を他社が追従できないぐらい最も高いレベルの技術で完成することである、と真摯に考えていたのだ(某社で昨年追い出し部屋問題が新聞で騒がれたが、定年間近に退職を促すような扱いを受けても騒ぐ話ではないのである。このような場合にサラリーマンならば追い出し部屋と考えるのではなく、まだチャンスを残してくれた、ととらえるべきである。そのように考えられないならさっさと会社を辞めるほうが精神衛生上良い。成果を軽視する会社もあればゴム会社のように人材を大切にする会社もある。それぞれの組織の風土である。また、芸が身を助け、という言葉があるように、成果を出した評判があればここで書いているようなこともおきる。)。これが科学ではなく技術の視点で問題をとらえた本当の理由である。科学のような形式知だけで商品を完成しても、他社が科学的に解析を進めれば簡単にリベールできる。分析や解析は科学で問題解決すると簡単であることは既に述べた。ところが暗黙知や実践知の塊の技術ならば容易にリベールできない。今メーカ-が目指すべきはそのような技術である。 当たり前の科学技術を開発しても特許で守られるのはせいぜい20年である。

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料 高分子

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