2015.11/13 資生堂ショック(2)
故ドラッカーによれば、今は知識が資本と同様の意味を持つようになった知識労働者の時代である。すなわちかつて肉体労働の時代に存在した、資本家と労働者という対立構造は無くなり、労働者は知識を持つことにより、資本家から解放されたのだ。
現在は知識の一部もコンピューターの導入で自動化され、形式知の仕事が少なくなっている。今世の中に存在するのは、人間でなければできない仕事だけであり、その仕事も新たに作りださなければ、減少してゆく。かつて、文明の進歩とは労働から人類を開放する方向に進む、といわれたように、昔ながらの仕事で形式知だけで構成された業務は減少し、実践知と暗黙知の仕事だけが残る。
換言すれば、実践知と暗黙知を持たない人は、仕事が無くなるのである。これは、仕事からの解放ではなく失業と表現したほうが正しいだろう。すなわち、文明の進歩は、新たな仕事を創りだしてゆかない限り、失業者を増やす方向に進むのである。
失業者を増やさないためには、労働者が意識を変えて新たな仕事に取り組むのか、今ある仕事を皆で分担するのか、いずれしかないのである。後者は「資生堂ショック」である。
ここでよく考えていただきたいのが、給与はどうなるのか、という点である。前者は急激なダウンには至らない温情的な結果をもたらすが、後者は、単純に考えれば大きく減少する方向となる。但し後者では売り上げが上昇すれば、その減少を抑えることが可能である。
例えば資生堂の場合に売り上げが伸びていれば、時短の美容院をシフトせずに済んだのであるが、売り上げが減少したために、すなわち減少し続ければ会社が倒産し仕事そのものが無くなるので、シフトで対応したのである。
知識労働の時代になって労働者は、資本の支配から解放され自由を得たが、その結果自らの仕事に責任を持たなければいけない時代になった。自らの仕事に責任を持つ、とは、仕事に合わせ知識を獲得する努力をしたり、仕事に要求されてタイミングよく知識を提供してゆくことである。すなわち、資生堂ショックは、なにも驚くべきことではなく、すでに故ドラッカーが指摘していたことが起きているだけである。その解決は、資本家ではなく知識労働者自らが行わなければ解決がつかない問題であり、その意味で経営者は意識改革と言っているのである。
カテゴリー : 一般
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