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2016.01/23 21世紀の開発プロセス(10)

Uが説明する技術イメージを寝起きの頭でも理解することができた。S専務の説教を聞くまでは、当方もUと同じ「技術は科学で成り立っている」というイメージを持っていたからだ。しかし、タイヤの解剖を行い、就職したゴム会社のタイヤが、M社に近い構造と重量を実現しながら、M社とは異なる構造だったこと、またなぜ同じラジアルタイヤなのに、12社様々な構造が存在したのか、などプレゼンが終わっても考えていた。その結果、S専務は技術と科学の相違点、さらには技術と科学は全く別物であるということを伝えたかったのではないか、と思うようになっていた。
 
Uが技術の無い会社、といったゴム会社の現場には、科学の知識で理解できない多くの難解な技術が存在した。現場実習をしていたときに、押出工程を訪問したところ、「押出成形は行ってこいの世界だ」と教えてくれた職長がいたが、寸法精度良く押し出されるゴムは、まさに技術の成果だった。
 
しかし、科学では説明ができない技術がそこに使われていた。この時の経験が、転職した会社で最後に担当した中間転写ベルトの押出成形で新しい技術を生み出した。
 
科学技術と言われるように、学校でも技術は科学の成果として習う。しかし、現場の営みの中で生まれる技術も存在するのだ。これは「マッハ力学史」にも出てくるように、科学の無い時代でも技術の進歩があったので間違いないことだと思う。
 
この科学とは無縁の世界で生まれる技術は、一応の科学的説明ができたとしても、それを改めて科学の知識だけで実現しようとすると難しい場合がある(注)。
 
極端ではあるが、例えば属人的な技術の場合だ。暗黙知はそのすべてが属人的であり、実践知にも属人的な部分が存在する。職人的仕事を軽蔑する人もいるが、30数年のサラリーマン生活で多くの尊敬に値する職人と交流することができた。その体験から言えば、職人の中にも実践知と暗黙知を身につけた立派な知識労働者がいる、ということだ。
 
そして、その人たちの問題解決法を見ていると、論理的ではないが効率的な問題解決をしている場合がある。そして、その過程は、科学の視点で論理的に再構成できたりするヒューマンプロセスなのだ。
 
科学の発展は、技術の進歩を急速に促進したが、教育が科学一色になったために、本来の技術のあり方が忘れられたような状況が存在する。科学は自然現象を理解するために便利な考え方であり、また技術を伝承する場合に、科学で翻訳することによりうまく後生まで伝えることが可能となる。
 
だから科学は、技術の道具として今後も重要であるが、本来の技術のあり方も見直す必要があるのではないか。科学は技術開発の道具であって、技術のすべてではない。
 
(注)逆に科学的にできあがった技術でも、手直しが必要なときに、過去の技術を採用すると簡単にできる場合がある。半年以上前にラテックスの生産でひしゃくで3回すくう技術を紹介したが、たったそれだけのおまじないのようなプロセスで安定生産を確保している。ただしすくい方にはノウハウがあるが。
 
 

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