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2016.05/21 科学的という罠

30年以上前の仕事を思い出しながら昨日まで書いてきたが、ふと「科学的という罠」というフレーズが思い浮かんだ。燃費不正問題の影響もあり、このフレーズが頭を離れない。
 
最初の配属先の組織が3ケ月で無くなったために、新たな職場へ異動したのだが、その職場の成果に防火性の高い天井材という商品があった。防火性能を試験する規格「JIS難燃2級」に,ポリウレタンという素材で初めて合格した、と課長から自慢話を聞かされた。
 
しかし、その材料の極限酸素指数(LOI)を測定してみたところ19.5と、空気中でばんばん燃えるような低い値なので不思議に思って指導社員に尋ねたら、「JIS難燃2級」という防火試験を研究して、それに通過するように科学的に材料設計した成果なので間違いない、という。
 
LOIは、まだ規格になっていないプライベートな試験法だが、難燃2級は防火規格として建築研究所で科学的に策定された規格である。そのうえ、その評価技術は建築の実火災を解析して生まれた手法だから科学的に優れている、と説明された。
 
空気中でばんばん燃えるような材料がどうして厳しい防火規格に合格したのか不思議に思い、自分で実験を行ったところその結果にびっくりした。規格どおりの試験を行うと、天井材が餅のように膨らみ変形して試験炎から遠ざかり、火がつかず燃えないようになるのだ。
 
また、その膨らみかたも絶妙で、大きな変形という評価にならない程度で収まっている。だから大変形も無く、煙も出ないし、温度も上がらない。評価結果だけを見れば、優れた天井材と自慢するのもうなづける。
 
これは大変なことだ、と思い、指導社員に報告したら、それが科学的に高度な材料技術なのよ、他社も真似しはじめた、と誇らしげに説明してくれた。他社品が特許に抵触していないか調査研究していることも話してくれた。
 
しかしまもなく社会問題として小さな新聞記事が出た。すなわち、国の難燃規格に通過した天井材を用いても家が全焼した、と言うのだ。その最初の記事が出てから1年後、建築研究所で規格の見直しのための研究がスタートして、当方はそのお手伝いすることになる。
 
また、LOIのJIS規格も当時できたての頃なので、この分野の科学技術が未熟なときの出来事、と言って良いような事件だが、それは30年以上経っているからこうして話せる。当時この件について、当方は、科学の真理の前で、王様の裸を正直に言った子供のような扱いをされた。
 
建築研究所が考案した試験法は、空気中で自己消火性になる材料を前提としていた。しかし、規格にはそのような視点が盛り込まれていない。またその試験法が考案されたときに存在した材料について限定すれば問題が起きない規格だったが、新素材が開発された場合には、その規格が有効に働く技術的保証は無かった。
 
ただし、実火災で観察された状況について因子解析された成果による論理的解説が成されていた。論理的には正しい解説でも火事という現象を人間が制御できないならば、スケールダウンした評価装置の結果がそのまま実火災に当てはまらなくなりそうな場合がでてくることを直感で理解できた。
 
2011年3月11日の福島原発の事故は、やはり科学の成果で起きている。まだ誰も責任を取っていないが、素直に考えると、おかしなことばかりである。例えば外部電源車が電源供給しようとしたらプラグが規格からずれていたので外部電源車を使用できなかった、とか、センサーの一部の電源コンセントがはずれていた、とか当時の新聞にはヒューマンエラーの記事がいっぱい出ていた。
 
最もおかしいのは、津波の防波堤の高さの決め方である。万が一防波堤を津波が越えたときの対策として用意されていた予備電源の発電モーターを一番高いところにおかなかったために(ご丁寧に防波堤よりも遙かに低い位置に置かれていた)、津波で最初に使えなくなっていた。
 
発電モーターの目的や役割、機能を素直に考えたら、そのようなところにおく設計にならないはずだ。少なくとも当方が建築図面を見たら、最初に指摘するし、指摘できる自信がある。
 
明らかに人為的なエラーが多数見つかっているのに誰も責任を取っていない状態、というのは、やはりおかしい。おかしいが罪を問わない理由も何となくわかる。しかし、それではまた同じことを繰り返すのである。21世紀は、責任を取るべき人が正しく責任を取らなければいけない時代だ。
  

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