2016.05/29 知識の獲得、書店
知識労働者の時代とはドラッカーの言葉だが、その知識の獲得がむつかしくなりつつある。例えばアマゾンの台頭で、書店の数が2000年から2013年までに21,495から14,241に減少したという。
かつて本を購入するときに書店で立ち読みし、気に入った本を購入するというのが一つのスタイルだった。しかし、今大手の本屋で本を見て、インターネットで購入するというのが一つのスタイルになっているという。
そのため中小の書店はやっていけなくなり店じまいするというのが最近の流れで、その結果出版不況を長引かせることになって、出版業界は今や著名人以外の出版は難しくなっているという。
著名人が知の見本のような人であれば結構だが、「あの日」のような本も出ている。すなわち、長引く出版不況の原因はインターネット書店の隆盛である。その結果、知の宝庫となる良質の本が出版されなくなった。
一方所詮本に書かれているのは情報であって、その情報を知識に変えるのは、今も昔も個人の努力しかない、という厳しい意見も存在する。しかし、かつて書店で手にした一冊の本が基になり成果がでた経験がある。かつては、情報ではなく知識が盛り込まれた本が書店に並び、そして今それが無くなりつつあるとも感じている。
恥ずかしながら未だかつてインターネットで本を購入した経験は無い。本は書店で見て購入する習慣がついている。これからなかなか脱却できない。最近田中角栄に関する本を書店でよく見かける。田中角栄は中卒で総理大臣まで出世した人物である。
その人生は今の時代の手本として読まれているのだろうか。もし当方が田名角栄論を書くとしたなら、その卓越したビジョンメーカーとしての才能にスポットライトをあてて書きたいと思う。石原慎太郎氏はその根本に故郷(国)を思う心が強かったと書いている。技術者ならば明るい未来を強く夢見ることが必要である。
カテゴリー : 一般
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