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2016.06/07 テクノ失業

AIの普及により労働者が職を奪われる現象をテクノ失業と呼ぶらしい。技術革新が進み、その結果労働市場が激変する体験を人類はこれまで何度も経験している。
 
当方はテクノ失業の問題を暗い側面としてとらえるのではなく、人間の特性を本当に活かすべき時代になってきた、と捉えている。
 
例えばいくら人間型ロボットが普及したとしても、レジ係のすべてがロボットに変わるとは思えない。人間でなければ勤まらないレジ係も存在する、と思っている。
 
近所の大手スーパーでは、かなり以前から無人レジと有人レジの両者で運用しているところがある。その様子を見ていて、すべてが無人レジに変わることはないと確信した。
 
レジ係だけではない。一見ロボットに任せても良さそうな仕事でも「任せてはいけない」仕事や、ロボットでは「効率が落ちる」仕事が存在する。このような仕事は、AIが普及しても残ってゆく。
 
面白いのは、多くのテクノ失業を扱った記事ではこのような見方をせず、十把一絡げに単純労働や論理プロセスの仕事がAIに置き換わるとしている。
 
歴史的に技術革新により労働は機械に置き換わっていったが、機械でもできそうなのにあえて人間が行っている仕事が今でも残っている。そしてそれらの仕事で生み出される製品はそれが付加価値として差別化されている。
 
このことからAIが普及することにより職を失う人が出てくるが、職を失わないための努力というものも存在するはずだ。AIが普及する前にその努力をすれば、一時期に大量失業というブルーな時代を回避できると思う。
 
また、その昔手塚治虫の漫画の一コマにロボットではとんでもないことになる状況が描かれていた。すなわちアンドロイドでも良さそうなシーンが展開され、その分野も高度な知能を持ったロボットに置き換わるような錯覚を読者に持たせ、最後に電池が切れとんでもないことが起きる、というオチである。どうして急に電池が切れたのか。手塚漫画特有のギャグで、面白いのは、それがありうることだからだ。どのようなシーンかはここに書けない。

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