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2016.06/08 科学の方法(1)

イムレ・ラカトシュ「方法の擁護」ほど当方を力づけた本はない。この書は科学の方法論について論じた歴史的名著となる一冊に違いないと思う。また、同時にこれから蒸し暑く眠れない夜のお伴としてついて行くのに良い本である。数ページで深い眠りにつける。
 
日本では、1970年代に研究所ブームだった、と言われている。1970年末に就職したゴム会社には、その名残があった。ゴム会社の研究所には、ゴム合成会社を設立するような成功体験があり、科学的方法が、業務を進める上で強く求められた。
 
そのような環境で、レオロジストの指導社員に出会ったのは救いであった。科学的方法論に対して斜に構えていただけでなく、ご自分の専門領域に関しても自虐的に10年後にはゴム材料分野で使われなくなる、とつぶやくのが習慣だった。
 
写真会社に転職後、ビックリしたのは、仮説を立てて業務を遂行するように、と科学的に業務を進めることが強く求められていた。ゴム会社では研究所がそのような環境だったが、研究所以外の部署ではKKDが否定されることなく許されていた。しかし、写真会社は全社一色科学色に染まっていた。
 
郷に入ったら郷に従え、とばかりに、科学色をギンギラリンに塗り、学会発表も並行して行いながら業務を行った。若手部下が日本化学会から講演賞を受賞したり自らも二つほど賞を頂いた。しかし、左遷され、豊川へ単身赴任してからは、思い通りに仕事を進めた6年間だった。
 
そこでは、科学のパロディーの仕事と、KKDの仕事を並行で進め、KKDで成果を出している。ただし、周囲へのプレゼンテーションは科学で行うというサービスは忘れなかった。この6年間で確認できたのは、科学的方法の非効率性である。
 
科学は確かに現代技術の発展を加速させた。しかし、科学の情報があふれている現代においては、KKDは異常なスピードを提供してくれる。ちなみに、それは、基盤技術0の環境において提案から稼働まで半年でコンパウンド工場を建てられたほどのスピードである。この工場は退職まで不良率0で稼働している。
 
21世紀になり科学に問題を提起している事件が相次いでいる。STAP細胞の騒動はその代表であり、そのほか、15歳の少年がマヤ遺跡の発見をした事例も考古学者の科学的姿勢の問題を浮き彫りにした。あまり騒がれなかったが、iPS細胞のヤマナカファクター発見の手法は、優れた非科学的方法だった。
 
 
    

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