2016.07/27 観察は、科学者専用の行為か(1)
科学を最初に学ぶ理科の授業では観察が中心である。また、ファーブル昆虫記は、小学校の夏休みの読書課題として定番の読み物である。だから観察は科学特有の行為と勘違いしている人がいる。
観察という行為が無くても科学論文を書くことが可能である。科学の研究を推進する一手段として観察という行為があるが、観察そのものが科学に必須ということではない。
例えば数値解析の論文を書くときに観察は不要である。また、実験が嫌いな科学者も増えており、その方たちは観察ではなく報告された現象を考察して仮説を立て、実験の指示を同僚スタッフに出す。
だから、自然現象の観察は科学に必須ではないのだ。科学論文を読み、その論文に触発されて研究を進め新たな真理を見いだす行為も立派な科学の方法として実践されている。中には学位取得の相談に来た企業研究者の研究成果からちゃっかり勝手に論文を出すような国立T大の先生もいた。
昔観察や実験の嫌いな学生は立派な科学者になれない、と言われたりもしたが、観察や実験をしないで論文を書くような立派な科学者もいるのだ。会議ばかりしている科学者だって今の時代は多い。
科学の仕事を進めるのに観察は不要とぐらい思える時代でもある。面白いのはファーブル昆虫記がノーベル賞候補に挙がったときにそれは文学賞として検討された。
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