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2016.07/31 観察は、科学者専用の行為か(3)

問題解決の方法において、観察をスタートにおくと、科学的ではない方法でも科学的方法と同等以上の解決成果を生み出すことが可能である。
 
観察結果から仮説を設定するのではなく、すべての可能性を書き出し問題解決に当たるのである。
 
このとき前向きの推論ですべての可能性について考えたときには、すべてを試さなければならず、仮説設定による科学的な方法よりも時間がかかるであろう。
 
しかし、結果あるいは結論、自分が望んでいる状態、あるべき姿などゴールイメージを設定して、それらと書き出されたすべての可能性についての比較検討により、幾つかの可能性に絞り込むことは可能で、それら絞り込まれた可能性について検討を進めれば、科学的方法に近いスピードで問題解決が可能となる。
 
この方法では、結論を想定していることが仮説設定と同じことではないか、という反論がでてくるが、結論を想定する行為はその結論に根拠を示せないため非科学的であり、仮説設定と同じではない。
 
例えば刑事コロンボの問題解決法を思い出していただきたい。彼の方法は科学に毒された目には一見科学的に見えるかもしれないが、たいていの事件は非科学的に解決している。時には運や情も味方につけている。
 
名探偵ホームズと刑事コロンボでは、その生きた時代が異なる(注:小説の中)ので直接対決はできないが、コロンボの方法論が科学捜査を軸にした非科学的思考ゆえにそのアンバランスが現代的に見える。
 
名探偵ホームズは、科学のエンジンとなる論理学が完成した時代に生まれており、当時は斬新なスタイルだったかもしれないが、野暮ったいコロンボに比べるとあまりにも科学に忠実でスマートすぎて時代遅れな印象を当方はうける。
 
但し評価者によっては、名探偵ホームズを洗練された科学捜査で現代でもその物語は色あせていない、と言われたりする。しかし、科学の問題が見えてきた現代においては、むしろ非科学的なコロンボに、より魅力的ではないだろうか。

 

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