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2016.10/20 働き方

国民の働き方を見直す動きが、政府中心に高まっている。10年以上前からその前哨戦としてワ-クライフバランスが流行している。当方は少し違和感を持ちながら、社会の動きを見ている。
 
そもそも「働く」意味とは、貢献と自己実現にある、といったのは故ドラッカーで、知識労働者は皆エグゼクティブ、というわかりやすい言葉を残している。働く行為は、パンだけが目的ではないのだ。一日の1/3が労働時間に裂かれるので、人生の行為としてこれを捉えたほうが良いのではないか。
 
今後、人工知能の進歩で、単純な肉体労働のほとんどは機械化されるだろう。それだけでなく、現代のホワイトカラーの一部の仕事についても将来は人間の仕事でなくなるかもしれない。
 
このような将来が見えているのに、今議論されている働き方の見直しは、単に小手先の議論で、真に人と仕事の根本的な問題に踏み込んでいない。ワークライフバランスにしても仕事を人生から切り離すような思考法である。仕事を人生に組み込む思考法もあっても良いし、むしろ将来を鑑みるとそのほうが幸せである。
 
大胆な意見として、現在の1/3の仕事がAIに奪われるという。本当かどうか知らないが、AIに仕事を奪われない働き方という発想が生まれてもいいと思っている。ワークライフバランスという考え方ではなく、仕事に対して人間の英知を傾けて取り組む思想である。
 
このような思想では時に、ワークとライフのバランスをくずすような働き方も出てくる。高純度SiCの事業化に取り組んだときもカオス混合のプラントを立ち上げたときも、徹夜や睡眠4時間以下の日が1週間以上続くような働き方をしていたが、幸せだった。幸せだっただけでなく、知識も増えて自己実現を達成できた。
 
過重労働=ブラック企業という単細胞的発想が必ずしも幸せな働き方を約束するとは思えない。過重労働でなくてもその仕事に人生の意味がなければ、人は不幸を感じるのではないか。他人が見て過重労働であっても、その人の人生で重要な仕事であれば、取り組んでいる人は幸せを感じている場合もある。
 
半導体用高純度SiCの仕事では、将来セラミックスの専門家としての夢を見ていたがFD事件で無残に消えた。高分子の専門家に目標を変えてその卒業試験のつもりで取り組んだのがカオス混合プラントだった。量産が3ケ月後という刺激的な状況でプラントを立ち上げなければいけないストレスは、20年間写真会社で自己実現に努力した試験と捉えたときに心地よいストレスとなり、50を過ぎた体にきついはずの徹夜も快適だった。

カテゴリー : 一般

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