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2016.11/25 過重労働と組織(1)

ゴム会社では担当者として12年間勤務したので、残業時間を申請しなければいけない立場だった。しかし、大半はサービス残業であり、特に電気粘性流体と高純度SiCの事業化を担当していた時は、サービス残業の毎日だった。
 
電気粘性流体の仕事はプロジェクトメンバーの一員として業務を担当していたが、高純度SiCの事業化は、住友金属工業との共同開発契約が締結されても一人で進めている状態だった。そして転職したのは38歳の時である。
 
この7年ほど前、高純度SiCの事業化を行うためにファインセラミックス棟がゴム会社に建設された竣工式の日に、上司が胃がんのため入院されていた病院でお亡くなりになった。当方が31歳の時だが、その後上司がほぼ1-2年ごとに変わり、そのたびに業務説明という仕事が発生し大変だった。
 
マネージャーが毎年のように変わった背景は、経営から見て業務が迷走状態だったからだ。迷走状態になった理由は、マネージャーによりテーマの進め方やメンバーの役割が変わったことが大きい。
 
当方を邪魔者扱いにしたマネージャーもいた。このような状態を経てU本部長退任後、当方は一人で業務を担当することになるのだが、予算だけはテーマについていたのでお金に苦労することなく、一人になって気楽に感じたこともあった。
 
ただ、某会社の人事担当の友人から、その状態は当方の将来において危機的状況だ、と教えられた。この友人から酒を飲みながらいろいろ脅されても、なぜか恐怖感は無かった。当方が邪魔者扱いをされたときに、S人事部長に相談して自信を持って業務を継続するように言われたからだ。S人事部長は、当方を悪く評価する人は悪い人で、良く評価する人はいい人だと思って仕事を進めてよい、とアドバイスされた。
 
今から思えばS人事部長の言葉の真意を正しく理解できるが、当時は真正面からとらえていたので、友人がいくらテーマを終結し、職場異動申請を勧めてくれても、そのような気持ちにならなかった。S人事部長のアドバイスが無かったなら、高純度SiCの事業はとっくの昔に終結していたかもしれない。
 
U本部長からI本部長に変わった時に、電気粘性流体を主に担当することになった。きっかけは、某自動車会社に電気粘性流体を納入しなければいけない納期が迫っていたのに耐久性の問題が解決できていなかったからだ。そして、この耐久性の問題を相談されたときに当方は一晩で簡単に解決してしまったのだが、これがFD問題の原因となった。
 
しかし、業務時間の大半を電気粘性流体に使うように指示されていたので、当方の立場としては問題を早く解決し、高純度SiCの業務時間を生み出したかっただけである。ちょうどこのころに住友金属工業とのJVの仕事が忙しくなっている。JVの仕事と電気粘性流体の性能向上の仕事と二つを一人で進めねばならず、おまけにI本部長からは当方の残業時間は認めない、と言われたので、サービス残業にならざるを得なかった。
 
このような過酷な状態で、本来は精神的に追い詰められているはずだった。周囲には、そのような状態をからかう先輩社員もいた。ものすごい組織風土に変わったと内心思った。
 
ところが、弊社の問題解決法を適用したので担当した電気粘性流体の仕事が面白いように展開し、はた目には過重労働だったのだが、毎日ニコニコと業務に励むことになった。そして、電気粘性流体の性能向上のため、傾斜機能粉体や微粒子分散型粉体、コンデンサー分散型粉体などの粒子設計の企画や高誘電率ホスファゼン絶縁オイルの提案をした。

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