2016.12/05 家庭(1)
公的な社会と異なるコミュニティーとして家庭は重要である。故ドラッカーは、社会における個人のあり方について、社会しかその役割の場が無い状態は良くないと著書で書いている。当方は、上京して結婚するまでは、その好ましくない状態だった。
社会以外の場として個人の生活がある。趣味は個人の生活の華の部分でもあるが、化学の実験が趣味で、子供の頃から自宅で怪しい実験をしてきたのが、社会に出てそれが仕事になったとたんに個人の生活が無くなった。まさにゴム会社の生活そのものが人生のすべてだった。
会社にはテニスコートが6面あり、休日や昼休みのテニスが趣味として加わったが、閑なときには仕事のことを考えている独身寮生活では個人の生活が無いに等しかった。押しつけられてそのような状態になっていたわけではないので不快では無かったが、潤いは日々の実験の成功以外無い状態だった。このような生活の改善には結婚しか無かった。
時代は、高度経済成長期で多くの若者は車を所有する傾向があり、当方も恥ずかしながら独身時代はカローラクーペからセリカ、プレリュードと乗り継いだ。だから、正しくは100%会社生活という状態ではなく、車の中で個人の生活空間が確保されていった。車の中では運転手という役割があった。
友人に器用な人がいて、男女同数の休日テニスツアーが頻繁に企画され、たまに運転手が不足すると声をかけられた。お声がかからない休日は会社のテニスコートで2時間ほどテニスをして、独身寮で仕事をしているような生活だったから、このテニスツアーの運転手という役割は個人の生活の重要部分だったのかもしれないが、ツアーの中の役割なので社会の役割との境界が不明だった。
カテゴリー : 一般
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