2016.12/09 社会のコミュニティー(2)
会社は、新しい顧客を創造するために活動する機関であると同時に、そこで働く人たちのコミュニティーであることが理想ではないか。
働く意味は、「貢献」と「自己実現」にある、と述べているのはドラッカーだが、自己実現目標は個人それぞれである。しかし、貢献の究極の目標は皆同じはずで、その意味で会社は一つのコミュニティーである。
もしコミュニティーとしてうまく機能しているならば、上司のパワハラとは無関係になるだろう。皆が目標を共有し助け合って働くならば、パワハラは生まれない。
そもそも上司は部下が成果を出せるように働きかける、すなわち「部下を助ける、あるいはサービスする」マネジメントが重要となるが、パワハラでは部下を疲弊させて成果を出せなくなる。
だから成果を追求し会社が健全なコミュニティーとして機能しているときに、パワハラは消滅するはずだ。
また過重労働による自殺も無くなる。いろいろ施策を講じれば過重労働そのものが無くなる、という意見があるが、それは妄想に過ぎない。健全なコミュニティーだけが問題を解決してくれる。
過重労働が無くならない理由は、各メンバーが成果を重視したときに、それぞれの判断で過重労働をしなければいけなくなるシーンを0にできないからだ。もしこれを0にできる、という人がいるとしたら、それは仕事の成果というものを理解していない人だと思う。
ゴールのレベルを下げたり、納期を延ばしたりすれば過重労働を0にできるかもしれないが、健全なコミュニティーでは、短期の間であれば効率を求め多少の無理を吸収しても成果を出そうとする。そのほうが気持ちが良いことを健全なコミュニティーは知っている。
運動会のかけっこで一番になる気持ちよさを知っている人は、最初に決めたゴールを下げることに違和感を憶えるはずだ。そのような人は自発的に過重労働を選択し成果をあげる傾向にある。
過重労働が悪いのではなく、それを無理強いする組織マネジメントや風土が問題だと思っている。自己責任による過重労働まで0にできればよいが、それは難しいだろう。ゴーン氏によれば、社長は24時間働く過重労働をしている、という。会社に一人は過重労働を行う人が必ずいる。
カテゴリー : 一般
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