2017.06/09 産学連携における問題(3)
先行投資のおかげでゴム会社に高純度SiC合成技術の研究開発環境が整った。そのため3年間の留学予定を1年弱で終えることになった。しかし、ここから住友金属工業とのJVをスタートさせるまで、いわゆる開発の「死の谷」を歩くことになる。
ファイセラミックス棟の起工式の日に入院された上司が竣工式の日に亡くなられた。その後ほぼ1年程度の間隔で管理職が代わり、開発が迷走することになる。
多段湿式法によるペロブスカイト粉末の開発やSiC長繊維の開発、SiCるつぼの開発、窒化ケイ素の開発、窒化アルミニウムの開発、ECDの開発、セミソリッド電解質の開発、切削チップの開発、SiCヒーターの開発、燃料電池電極の開発、Li二次電池電極の開発、その電解質の開発、電気粘性流体の開発など高純度SiCの事業化を推進しながらいろいろなテーマを担当した。
この間、無機材質研究所だけでなく、三重大、阪大、東北大、都立工業試験所などミニ産学連携研究を多数行っている。そのとき費用対効果の評価では無機材質研究所がトップだった。理由は企業からの持ち出しは人件費だけだったからである。他は奨学寄附金で手当てできる場合にはそれですませたが大学によってはまとまった金額が必要な場合もあった。当時はTLOが無かったので金額は先生の希望額で決まっていたようなところがあった。
ただ、無機材質研究所だけは、過去の実績から、なにがしかの研究プロジェクトへゴム会社が参加する形式の産学連携体制だったので、費用発生は無かった。すなわちパイロットプラントで試作された高純度SiC粉末を無機材質研究所に提供して、フェノール樹脂を助剤にしたホットプレス焼結や常圧焼結、高純度SiC粉末の粒度調整技術などが共同研究のテーマとして進められ、基盤技術の無かったゴム会社では、砂漠に水が吸収されるがごとく、みな成果となっていった。
しかし、これらの成果は住友金属工業とのJVが立ち上がるまで、マーケットが見つからなかったので生かすことができなかった。ただしすぐには生かされなかったが、基盤技術として残り、JVでは当方の0.5人工数しかマンパワーを避けなかったにもかかわらず、順調に立ち上がった。
0.5人工数しか避けなかった理由は、高純度SiCの担当者が当方一人であり、他のテーマとして電気粘性流体の開発も担当していたからである。過重労働(注)という表現を通り越して、毎日手品をやっているような仕事の進め方であった。その手品の種は、JVを始める前に産学連携で進められた無機材質研究所との共同研究成果だった。
(注)ファインセラミックス研究棟が立ち上がり、当初20名弱のプロジェクトでスタートしたが、その後Li二次電池の技術が日本化学会賞を受賞するとそちらに人員が配置され、年々人数が減少し、最後に管理職もいなくなり、広いファインセラミックス研究棟に当方一人になった。これはさすがに寂しかったので結婚して気分転換し、それまで独身寮からファインセラミックス研究棟まで徒歩3分の生活から、一時間の通勤時間が必要となる生活に変わった。この一時間の通勤時間は、気分をリフレッシュするには十分な時間だった。精神衛生上問題となる環境だったが、なすべきことが明確だったので夢実現のためストレスを自己実現に転換するよう努力した。取締役が厳しい方であったが、学位取得などの方向を示してくださったおかげで道に迷うことはなかった。また、製造した粉体を自分で販売してこい、という指示も、気分転換の機会ととらえ営業の真似事もしていた。この仲人までしてくださった役員も交代すると、予算が0となった。ただし研究開発管理部長がここでは書きにくい特別な手当てをしてくださり、名目上の予算は0であったが、設備以外は従来通り研究開発できる状態だった。そのおかげで住友金属工業小嶋荘司氏の依頼で高純度SiC粉体を10kg供給することができJVを立ち上げることができた。半導体治工具に関する共同出願特許が当時の両者の関係を示している。
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