2017.07/08 下手な実験例としてのSTAP細胞
昨日の思いつき実験の続き。理研を舞台にしたSTAP細胞事件では優秀な研究者が一名お亡くなりになっただけでなく、なんの成果もでないまま、さらにせっかく出願した特許まで取り下げるという愚かな行動までとられている。
STAP細胞が本当にできたかどうかは闇の中、と言われたが、その後ドイツからその存在を示唆する論文が出てきたりと、怪しい展開になっている。お亡くなりになった研究者は一流の研究者だったそうなので、論文に捏造があったとしても一度はSTAP細胞ができていた可能性がある。
ここで残念なのは、その最初の発見者が実験の下手な未熟な研究者だったことである。実験ノートもいい加減な使い方をしていただけでなく、試薬の管理までずさんだったのだ。自叙伝の「あの日」を読むとそのいい加減さの反省が書かれていないだけでなく、いい加減であったことに気がついていないような状況描写すらあった。
「あの日」から伝わってくるのは、実験を料理かままごとのように捉えている姿勢である。国民の血税が一回の実験にどれだけ使われるのか考えていたなら、もう少し気合の入った実験ノートが出来上がっていたはずだ。ハートマークの入った実験ノートがいい加減な実験の様子を物語っていると思う。おそらく毎回の実験が思いつきで行われていた可能性が高い。
昨日思いつき実験では、実験がうまくゆかず未練が残っているときにすべての条件について調べるべきということを書いた。STAP細胞でも考えられるすべての条件を丁寧に実施していたなら、モノにできたかもしれないと思っている。実は高純度SiCの企画について2億4千万円の先行投資が決まったときに、ゴム会社の研究所のある主幹研究員の方から、「同じ企画を考えていて実験したがうまくゆかず諦めた」という話を聞かされた。
当方が高純度SiCの前駆体合成条件を見つけた経緯をすでにこの活動報告で書いているが、当方も最初はうまくゆかなかったので、腹をくくって考えられるすべての条件で実験をしたのである。そして最適プロセス条件を見つけて技術を完成している。このときの実験ノートには実施した条件と×マークがたくさん書かれており、前駆体がうまく合成できた条件にはハートマークではなく星マークがつけられていた。
「同じことを考えていた」と話してくださった主幹研究員の方には申し訳ないが、当方は同じことを考えていない、と言いたい。同じことを考えていたのなら成功したはずだからだ。当方は隠れている機能をリベールするためにすべての考えられる条件で実験を行おうとしたのである。すなわち「必ずできるはずだ」と考えていた(注)ので最後まであきらめなかったのだ。主幹研究員の方は「できないかもしれない」、と考えていたのだと思う。思いつき実験を行うときに、この違いは大きい。決して同じではない。
(注)カオス混合装置では、指導社員からその言葉を教えられたときにすぐにアイデアが浮かばなかった。それでできるという自信が生まれるまでアイデアを寝かせることになった。
カテゴリー : 一般
pagetop