2017.07/26 妄想
先日涼宮城の話を読んだ友人から電話がかかってきた。あのCMについての議論よりも妄想の話で多くの時間を費やした。友人は文系だから、技術のアイデアを妄想から導くというのは作り話ではないか、と言いたかったようだ。
ところが当方の開発技術のほとんどは妄想から生まれており、単身赴任の時にはとうとう一部の管理職からここから何か良い妄想は無いのか、と引っ張りだこになる始末だった、という体験談を話した。
壇蜜の「行く」というセリフから、宮城で壇蜜とデートしたり、あるいは別のよからぬ想像をしたり、どのような妄想を描くのも自由である。自然界から機能を取り出すときも、自然界でおきている現象を眺め妄想を膨らませて、時には興奮する。
カオス混合装置をイメージできたときには、ものすごい興奮でその日は眠れなかったことを今でも覚えている。妄想を描くのは仮説を考えたりするよりも易しく、いろいろと自由に描くことが可能だ。科学の制約は消し去り、いろいろな角度で現象を眺め妄想する。時には妄想をホワイトボードに書いたりして恥ずかしい思いをしたこともある。
ゾルをミセルに用いたラテックス重合の技術についてホワイトボードで議論しているときは恥ずかしかった。恥ずかしくとも妄想の可能性がある以上非科学的と言われようともいろいろな可能性の図を描いた。
その中から界面活性剤の知識だけで考えていては思いも及ばない、本当に起きていた現象が見つかっている。科学により自然現象がすべて解明されているわけではないのだ。また科学のタコつぼ化した体系では、境界領域の現象について妄想でイメージしない限り、仮説など思いつかないこともある。
この妄想は、アイデアを考える一つの方法である。涼宮城のCMで日本にはアイデアマンが豊富にいることを知った。壇蜜をかわいいおばさんと捉えるとあのCMのイメージは本当に涼しげなCMとなる。亀との対話でもほのぼのとしたムードが伝わってくる。科学の制約をはずした妄想とは、あのCMでいえば壇蜜のシンボルイメージを変えて眺めることである。
カテゴリー : 一般
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