2017.08/11 教科書
小学校、中学校、高校と進学するにつれ、教科書が難しくなっていくのに当時閉口した。しかし、その難しかった教科書が今では易しく思えるので勉強の成果が出ているのだろう。
大学時代の教科書には、易しく思える教科書から奇妙に感じる教科書も存在する。書棚のスペースが無くなってきたので、本の整理をしようとその基準を考えたら、「奇妙に感じる」教科書という基準が出てきた。
セラミックスの教科書はその一つだ。学部時代の教科書は紙くずに等しい。セラミックスフィーバーではそのくらいの学問の進歩があった、と改めて感心した。
高分子の教科書もほとんどは廃棄の対象となった。高分子もこの40年ものすごい進歩があった。有機合成の教科書は、1/3が廃棄の対象になったが、捨てがたい教科書が幾つかあった。
教科書の整理をしてみると学問の進歩の状況を感じることができる。いくら著名な先生が書かれた教科書でも使い物にならないだけでなく古典としての価値も無い代物がある。
一方で福井先生の書籍のようにその考え方を何度も読みたくなるような古典と呼ぶべき教科書は、今の仕事に役に立たなくても捨てられない。
原書があるので訳本を捨てようと思ったら、ホフマンのサインが入っていたので捨てるのを辞めた。原書にサインをもらえば良かった、と反省するとともに、「布施明ではないのだから」と、昔参加した有機金属の国際会議でホフマンのサインをもらおうとした時に先輩にたしなめられたことを思い出した。
カテゴリー : 一般
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