2017.08/24 技術開発の方法(2)
科学技術の結晶ともいわれた原子力発電の実情を見れば、科学技術こそ未来を拓く、といって原子力発電を推進してきた科学者たちの無責任さばかり目立つ。いったい何を研究開発してきたのか、と言いたくなるくらいの現状である。
原子力技術のそれぞれは、他分野で研究開発された成果の賜物で、原子力の研究開発成果で見えているのは、事故が起きたときの対応策に必要な技術や、使用済み燃料の処理など本来重要な技術について、何も答えることができない状態である。
そもそもアカデミアも含め原子力技術について何が重要テーマなのか考えていなかった可能性すら見えてくる(注)。このように書くと、反論を述べる人がいるかもしれないが、その人は福島の状態をどのように説明するのか。
恐らく原子力技術はアッセンブリー技術といってよいのだろう。1970年代大学の偏差値は原子力関係の学科のそれが極めて高く、公害問題で人気の無かった化学系は理系の最下位の偏差値という大学も存在した。
ところで、福島の問題が発生したときには、優秀な人が原子力を目指さなくなる、というピンボケ発言が飛び出したが、優秀な人たちが開発した技術の結果が福島であり、使用済み燃料の処理技術も不十分な状態である。むしろこのような状態でも原子力研究を志す人が、たとえ偏差値が低くても、未来を拓く解決策を提示してくれるかもしれない。
科学偏重により重要な問題を見落としたり、人材の登用を誤って研究開発に失敗している例は、原子力の問題に限らず、企業の研究開発にも存在する。
(注)かつて化学系研究者は公害問題で大きな貢献をしている。原子力研究者や技術者がだめなところは、公害の事例がありながら使用済み核燃料の問題を先送りしてきた点である。この問題は原子力技術の研究者や技術者に弁解の余地は無い。
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