2017.10/05 政治哲学と技術
共産党は、その政治思想や哲学が今でもたいへんわかりやすい党であり、支持する人が少ない。支持されないことが理解されていても、その党名はじめ哲学や思想を変えない、という点を理解できないが、日本はその思想や信条の自由が保障された国だから存続できるのだろう。
自民党は戦後その哲学や思想について保守という軸を堅持しているが少しずつ変わってきているような印象を持っている。小泉政権や加藤の乱などを見ていると、自己変革の可能な、それこそ時代に合わせて変革可能な体質を持っている政党なのかもしれない。
この意味で自民党という政党の哲学やその思想は少し分かりにくくなっている。そこへ登場した安倍政権は当初神道の仲間たちで組閣されお友達内閣と揶揄された。大臣の失言などで現在の政治体制に至っているが、戦後登場した保守政治の流れをくむ政治哲学である点は多くの評論家諸氏が語るところである。
ところで現代の政治において、政治家は旧来の哲学あるいは思想にこだわって活動するのが正しいのだろうか。日本の国の形は、少なくとも50年前から大きく変わっている。例えば、家族の形は大きく変わった。小此木啓吾氏の「家庭の無い家族の時代」が出版されてかなり立つが、もう「家」の制度は痕跡すら無くなったかのようである。
政治とはかなり趣が異なる技術開発でさえも科学という哲学で進めていては時代遅れになりそうである。哲学や思想は大切かもしれないが、時代の変化のスピードが加速している昨今の状況ではそれらに囚われていると、変化の中で新たに生み出されてくる問題に対応できない懸念がある。
どのような未来を政治が目指しているのか、それを示すのは政権与党の責任であるが、そのためにかつては哲学が重要な役目を果たした。しかし、21世紀はもはや哲学で未来を描く時代ではない。目の前の問題が明確なので、その問題解決をできる政治家が求められている。
哲学に拘り矛盾を解決しアウフヘーベンしようとすると大変困難になる。難しい弁証法でそれが容易になるとは、もはや誰も信じていないのである。哲学よりも現実の問題解決である。技術でもすり合わせで作り上げるのが日本のお家芸であり、そのとき科学へのこだわりを捨てている。
例えばカオス混合技術の生まれた背景は、日本の一流メーカーのコンパウンドを使っているので目標の成形体が必ず計画通りにできるという「科学的な期待」が生産技術センター内の総意だったが、現実は「科学的に解析すると絶対に製品ができない」という矛盾した状態だった。これをカオスと捉え、カオス混合でPPSと6ナイロンをコンパウンディングしてアウフヘーベンできたのである。
半年で世界初の混練技術を開発することなど科学的に仕事を進めていてはできない。さらにPPSと6ナイロンの相溶はフローリー・ハギンズ理論という科学的な理論に反する現象である。
科学だけでなく土日返上時間無視の労働など問題のある働き方でサラリーマン最後の仕事をやり遂げることができた。これをやり遂げたところで給与や退職金が増えるわけではないが、その技術成果だけを真摯に追及した。(周囲に迷惑をかけないよう健康管理に配慮している。ストレスをためない働き方をゴム会社時代に体得しており、異常な労働でも健康を大きく害したことは無い。ご興味のある方はご相談ください)
技術さえ科学に囚われないで行われるようになったのだから、政治家も問題解決能力で候補者を選別する時代であり、命がけで日本のために働いてくれる候補者に投票したい。
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