2017.11/20 日馬富士問題の幕引き
日馬富士問題では、様々な報道が飛び出している。引き金が夏巡業における貴ノ岩の暴力とか貴ノ岩の二枚目の診断書を書いた医師による大したケガではなかったとか、ビール瓶殴打は間違いで、殴るときに持ち上げたビール瓶は手が滑って落ちた、とか枝葉末節の情報も含めると様々である。
貴乃花の母親の証言を読んだときには、この問題の本質とは関係がありそうでなさそうな適当な記事にびっくりした。どうして「何が問題か」を真摯に取り上げた記事がここにきて消えてしまったのか不思議である。日馬富士が引退するというニュースがなかなか出てこない。
酒席における横綱の暴力について、それがビール瓶によるものであったかどうかはともかく、格下力士への暴力という事実は存在し、横綱の責任の大きさは引退以外にない。それが過去の相撲界の暴力事件から生まれた掟のはずだ。
横綱日馬富士もそれを知っているはずで、「もう少し相撲をとりたい」と言って甘えている立場ではないのだ。「行司が差し違えたときにその場で腹を切るために短刀を携えているのに、一度も腹を切ったことが無いので横綱を辞める必要はない」といった白鳳の寝ぼけた発言も報じられている。
横綱という相撲界の役職は、プレーヤーの単なるトップという役割ではなく、社会的規範となるべき重責もあるのだ。それを認識しているのなら、事件が発生して間をおかず自ら引責の決断を申し出るべきである。
事件発生から過ぎた時間を思うと、それだけでも日馬富士に横綱の資格は無い。相撲協会ももし過去の反省があるならば、まず日馬富士から引退の言葉が出るように指導すべきだろう。そして何かさらに問題があるならば調査を進めるのが「あるべき姿」だろう。
もしこののまま日馬富士の責任が問われないならばせっかく盛り上がってきた相撲ブームに水を差すことになる。相撲が国技としてその地位がある意味を協会関係者は考えてほしい。
カテゴリー : 一般
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