2017.12/01 情報工学
情報工学が登場したのは1970年代であり、まだ半世紀も過ぎていないが目覚ましい進歩である。特にオブジェクト指向というプログラム言語が登場した1980年代に、その設計の考え方に感動した。
学生時代学んだ言語はFORTRANで、単位取得の条件は課題プログラムを作成し、その実行結果をプログラムリストともに提出することだった。プログラムやデータをパンチカードで打ちそれを読み取り機にかけて、実行させた。その後、プリンターから出力されたプログラムリストと実行結果を提出する程度の課題だったが、40人の学生に解放された端末が一台だけだったので大変だった。
だから、他人のパンチカードで提出する輩もいたが、教授は黙認していた。その程度の授業だった。ただ、大学院に進みインテル8086の互換CPUZ80の論文を読み衝撃を受けた。情報工学が専門ではなかったが、図書室のゴミ箱に捨てられていたそのコピーは学部の授業以上に濃厚だった。
8ビットのマイコンチップが登場したと思ったら、その改良された互換CPUがすでに登場したというのだ。論文では、両者の性能比較にとどまらず、マイコンの可能性まで言及していた。
就職し、MZ80Kを手に入れてからは秋葉原へ隔週通う生活になった。秋葉原は通信機を扱っていた店でマイコン関係の部品を売っていた。やがて秋葉原は街全体がマイコン部品であふれ、その後オタク化してゆくのだが、この街の変化は情報工学の発展の象徴のようでもある。
IOTが普及し始めた現代において情報工学はカプセル化され、生活の中に溶け込んでいった。ふと思い出すのは、短いプログラム一つ動かすだけでも大変だった学生時代だが、すべてが見えている安心感があった。
今身の回りの便利になった道具の恩恵を感じつつ、どこかに不安感がある。これは、その動作の裏側が全く見えなくなったためではないかと思っている。能動的に機械を操作しているつもりでもどこか機械に命じられてボタンを押しているような錯覚に陥る時がある。
例えば、ATMで操作を誤ったときに、一つ手前で間違えたことに気づいても、優しい女性の声で「もう一度最初からやり直してください」とささやかれ、強制的にスタート画面からボタンを押すことになる。本当の優しさとは一つ前の画面に戻ることだと、その声に向かって文句の一つも言いたくなるが、年を取ったせいか?
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