2017.12/23 貴乃花親方に対する理解
日馬富士問題に結論を出した日本相撲協会だが、貴乃花親方に対する批判が噴出している。好意的だったお昼のワイドショーのコメンテーターまで彼に対して批判を始めた。今回の一連の動きの中で、彼のとった行動と態度は、日本相撲協会から「非難に値する」と言われたように、組織人として確かに不適切だった。
ただし、これは表に現れた行動からの判断である。コメンテーターの中には、「もし、改革を望むなら、最初にその意見を明確に言うべきだ。」という人まで現れた。これは貴乃花親方が組織人として十分な訓練を受けており経験豊富なマネージャーだったなら、批判として妥当かもしれない。
しかし、彼のキャリアを見れば、今回の事件のマネジメントにおいて、とても一般企業の管理職のような判断と行動を期待できない。横綱を勤めたからと言っても組織人として優秀になれるわけではない(逆に、一般企業の管理職経験者で理事を編成したとしても相撲道を次の世代に伝えることができるかどうか疑問である。今回はこのような問題が露見した、と思っている。)。
また、日本相撲協会の役員も、コンプライアンスに順守した判断ができていたなら、今回のような大事件に発展せず、粛々と日馬富士に引退勧告をして、先の場所で何らかの謝罪をしていただろう。さらには、平手打ちやかちあげを平然と行う白鵬の情けない横綱相撲を放置していないだろう。
おそらく貴乃花親方は、信頼できない協会幹部との人間関係の中で、自分の理想とする相撲道と相撲界のあるべき姿で悩み、思考停止になっていたのではないか。今回の事件で、再発防止のため少し見直さなければいけないのは、日本相撲協会の役員をサポートしている危機管理委員会や横綱審議会の役割である。
もし、日本相撲協会役員の面々が、まっとうなマネジメントができないとわかったなら、サポート組織は積極的にアドバイスをしなければいけない。今回の場合、貴乃花親方の信頼が得られるどなたかがいて、彼に誠実なアドバイスをしていたなら、もう少し展開が変わっていたのではないか(すなわちサポート組織のメンバーが妥当かどうか、と疑問を持っている。今批判をされるべきは、評論家のようなサポート組織ではないか。)。
日本相撲協会も例外ではなく、組織の運営は、支配ー被支配関係ではなく信頼関係を前提にしなければいけない。上下関係を示す役割名は責任や権限の所在であって、それは支配のためではない。恐らく、相撲道に反する横綱を放置するだけでなくモンゴル勢も含めて甘やかしている協会役員を貴乃花親方は信頼できなかったのだろう。
暴力追放が厳しく社会から求められているのに、暴力事件の張本人だけでなくそれを見ていた横綱までも素知らぬ顔で本場所で相撲を取っている状況を見た貴乃花親方は、大きなショックを受けて思考停止になったのかもしれない。
カテゴリー : 一般
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