2018.01/24 AIと西部邁
故西部氏は、学生時代は左翼の活動家だった。彼にとっての保守は、保守政治や「伝統文化」の擁護を直接は意味しない。「慣習の奥底に示唆されている歴史の知恵を自分の力で発見し、自分が納得できる間はそれを仮に伝統とみなす。そうした論陣を張るのが保守というもの」だという。
また、伝統を「危機においてバランスを取るための知恵」とも述べていた。彼の人生やその思想を思うときに、AIが人間にとって代われるとは想像できない。
1970年前後に左翼的思想だった若者が、いつの間にか企業幹部になっている例は多い。当方の友人にも高校時代結構過激な発言をしていたのに左翼思想では決して出世できない大企業の副社長のいすに座っている人物もいる。
影響を受ける周囲の人たちは大変だが、思想の変説を社会は許容すべきである。それこそ人間の成長の証だからだ。昨日まで左の思想が突然右に変わったとしても、そこに哲学が存在するのであれば、立派な人間である。AIのデータを入れ替えたり、プログラムを変えたりした結果とは異なる。
故西部氏は、日本の保守思想家のリーダーの一人だったが、恥ずかしながら当方は彼の左翼時代を知らない。恐らく彼の若いころから知っている人の中には批判する人もいるかもしれない。
逆に彼の著書から当方は左翼だったことを素直に理解できないが、あえて納得するために伝統を認識する暗黙知がどのようなものであったかは想像できる。そしてこのような暗黙知が関わる思想の変化をAIが真似できると思えない。
だからAIが社会に普及することを恐れる必要は無いように思う。人間の営みの中には、AIが理解できない矛盾があふれており、そしてその多くの矛盾は営みの場に影響を与える伝統との摩擦から生まれる。
このような矛盾を矛盾としない知恵(注)を論理に基づき動作するAIが獲得できないだろう。西部氏の訃報から、人間の思索活動をAIが超えられない確信を持った。
(注)技術においても、形式知例えばフローリーハギンズの理論に矛盾する技術アイデアを経験知や暗黙知を駆使してカオス混合で実用化する場面では、分野は異なるが西部氏の思想に通じるところがある。AIがある人間の作ったプログラムとこれまた特定の人間の集めたデータからその能力を発揮するメカニズムである以上、すべての分野で人間を超えることはできない。二律背反を解決することこそ技術開発、という言葉をゴム会社に入社したときの研修で聞いたが、AIの時代にはますますこの言葉の実践が重要になってくる。
カテゴリー : 一般
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