2018.02/11 科学者のときめき(2)
文春砲など標的にしないだろうから、科学者が倫理観を喪失する問題を今日も少し書いてみる。当方は技術者だが科学者にあこがれたこともあり、科学者が不倫と意識せず論文不正に手を染めてしまう理由がよくわかる。
まず科学者と技術者の根本的違いをのべれば、科学者は自然を論理で支配しようとするが、技術者は自然を生活に役立てようと活動する。この違いからくる倫理観の差異は大きい。技術者は人類の幸福という問題をどうしても考える必要に迫られる(注)。
また、素粒子物理学の進歩を見れば明らかなように、技術者にとって原子や分子レベルの機能で十分だったにも拘らず、さらに細かい粒子の存在を科学者は技術者に提示した。その結果、技術者にしてみれば、そこから生まれる機能をどのように使うのか悩まなくてはならなくなった。
ただし、技術者は粒子であることを知らなくても、すでにその機能を活用していたので、科学者の成果物で余分な仕事を増やされたような気持ちになった者も技術者にはいると思う。
それだけでなく科学者はさらに細かいレベルまでつき進んでいった。その果てがどのように人類に役立つのか考えず、ただひたすら論理の導くままにコストがどれだけかかろうが、とにかく果ての果てまで論理の支配のもとに進んでいった。そして、その行為に倫理観は必要ない。
おそらく今や論文に書かれていることが本当に正しいかどうかがわかる技術者はいないのではないかと思われるレベルまで、素粒子物理は進んでいる。論理の正しさを確認するために実験が必要になってくるが、その実験でさえも正確な論理で裏打ちされた実験が必要となり、誰が見てもその正しさを理解できる状況ではなくなった。
だからほんの少しのデータの改竄でも論文不正として取り上げなければいけない、と科学者は考えるようになっていったのではなかろうか。ところが、論理で自然を支配しようとして行き過ぎると実験データを改ざんしたいという動機が生まれる可能性がある。
かつて生データの手動SN比改善など日常茶飯事の時代もあった。気に入らないシグナルをノイズの中に埋めることなど、卒論提出期限が迫って無意識にやっているのを目撃したこともある。一方ノイズのような信号のX線チャートを見て結晶に基づくピークと主張した大学教授もいた。
この点に気がつくと、科学者は不倫と紙一重のところで仕事をしている職業だと理解できる。ときめきだけで突っ走っていると、生臭坊主の説話をごもっともと聞かなければ救われない事態になる恐れがある。
人間は罪深い生き物かもしれないが、さらに罪を増やさない努力が幸せを約束する、と考えてほしい。不倫は文化だといったふとどき者もいたが、瀬戸内氏の言うような不倫など当たり前の社会にしてはいけない。転ばぬ先の杖として、特に科学者は倫理をよく学び不倫をしないように努力しなければいけない。
(注)今社会問題になっている企業の品質管理部門で行われているデータ改ざんは、一部の人の幸福だけを願った結果、と捉えることができ、技術者の行為ではない。技術者は誰もが幸せを感じるよう努力する職業なのだ。
カテゴリー : 一般
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