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2018.04/30 「あの日」と財務省セクハラ問題

昨日時代が変わった、と書きながら、ふと小保方氏著「あの日」を思い出した。「あの日」では捏造と判定された論文代について60万円を理研から請求された著者の正直な気持ちが描かれていた。

 

各種ハラスメントは被害者が現れたらアウト、と昨日書いたが、STAP細胞騒動は、捏造を意図しようがしまいが、データを第三者が見てわかるような改ざんをして論文に載せたならアウトの時代の出来事である。

 

第一著者がその責任を問われるのは当たり前のことだ。それを著者は理不尽と「あの日」で書いている。著者が学歴のない実験助手の立場であれば、当方が新入社員時代に始末書を書かされたような出来事であり理不尽かもしれない。

 

但し、当方はドラッカーの言葉を思い出し一人前の研究者としての責任感から新入社員らしからぬ挑戦的で気合の入った始末書(と上司に評価された)を提出している。著者も理研で処遇された役割から事件の責任を正しく理解し、気合を入れて給与全額返還をしたなら、世間は同情したかもしれない。

 

アナログ時代は、多少いい加減でも許された。測定データを論文に投稿するときには、測定器から出力されたアナログデータをロットリングを使い、手で写し描く以外に方法が無かったからだ。しかし忠実に書いているつもりでも、多少は出力データと異なる部分が出てくる。

 

SN比の悪いギザギザが細かな信号を写し取るときは大変だった。時間が無い時には、先が太いロットリングを選んで写していた。デジタル時代の今ならば測定時のビット操作のようなものだ。サンプリングレートを落とせばSN比が見かけ上よくなるがこれは今でも許される。

 

例えば赤外吸収スペクトルはせいぜい10%前後の不純物検出感度しかないが、もう少し不純物シグナルが強く出ていてほしいと思ったのか思わないのか知らないが、写していて多少強度比が異なるようなチャートとなったような思い出が残っている。

 

それを見て、上手に写した、とほめられた時代もあったのだ。また、捏造のつもりなど無いが、いくらトレーシングペーパーにきれいに写しても多少はずれるので、ベースラインがきれいになることもあった。今は、論文作成のツールも整備され、測定器のデータをデジタル化し正確に論文に取り込むことも可能なので、その多少のずれも許されない時代なのだ。

 

ましてや、画像を杜撰に切り張りしたならばアウトである。昔でも切り貼りするときにはエディターから注意をされないように細心の注意を払ったものである。

 

そのためにアナログデータをコピーして何度もつなげる練習をした。ユービックスのガラス面をきれいにしても元画像には存在しないドットが現れて泣いたこともある。もちろん捏造が目的ではない。当時はそのような手段しか、データをまとめる方法が無かったのだ。

 

不注意が、あるいは配慮に欠けた言動が、昔は黙認されたかもしれないが今は大きな罪となる時代になった。何か問題が起きたなら、その組織で責任ある立場や役割になればなるほど、その罪を償う社会的責任が大きくなるという時代なのだ。「あの日」や財務省セクハラ問題の当事者にはその視点が欠けている。

カテゴリー : 一般

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