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2018.07/01 勉強(1)

亡父は、死の間際まで読書をしていた。亡父の読書は、いわゆる読書というよりも勉強だった、と思っている。本を読みながらいつもメモを取っていた。読む本も文学書よりも古典や実用書、芸術分野など知識獲得のための書物ばかりだった。ドラッカー本について恐らく日本で販売された書籍を全部読んでいたに違いない。

 

亡父は、自分で読む本は自分で買え、が口癖だった。本屋の神様のような読書家だったが、本が高くなった今の時代は大変である。電子書籍が必ず普及すると思って事業を開始したが失敗して不思議に思っている。AIの普及でますます勉強が重要になってきたからだ。

 

亡父は組織で成功した人生だったが、55歳定年制の時代で、組織から離れた人生と組織で生きた人生の長さがほぼ同じの生き方をしている。当方が中学生の時に定年を迎えたのだが、メモを取りながら本を読んでいる姿を見る時間が多かった。

 

人は何のために学ぶのか、という問いはナンセンスで生きることは学ぶことだ、というのが亡父の口癖だった。しかし、当方の生きた時代は、不幸にも学ぶ意欲を失わせるような風潮で、勉強だけをやっていては生きてゆけない時代だった。

 

就職で上京し、ますます勉強時間が短くなった。毎日過重労働で勉強時間などとることができなかった。もっとも過重労働はみずから果した働き方のようなものだったが、指導社員はその働き方に同情されたのかどうかは不明だが、毎朝3時間座学の時間を習慣としていた。

 

この指導社員との3ケ月を新入社員時代にもてたのは人生の良い思い出である。本当は毎朝ではなかったのだろうが、思い出として毎朝として記憶されている。そしてマンツーマンの座学の時間に関わらず居眠りをしていた思い出が残っている。

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