2018.08/02 村田選手の引退
「ルートイン独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブス(BC栃木)からNPB復帰を目指してきた、前巨人の村田修一内野手(37)が今季限りでの現役引退を決断したことが31日、分かった。これまでNPB球団への移籍を模索したが、移籍期限となる31日までにオファーは届かなかった。
村田は自身を獲得してくれた恩義から、今季いっぱいはBC栃木でプレーする意向。レギュラーシーズン最終戦は9月9日のBC群馬戦(小山)の予定。1日には栃木県内で会見を行い、自身の言葉でファンへの感謝を述べる。」
以上は昨日スポーツ新聞デジタル版で見つけた記事である。打高投低のBCリーグではあるが42試合に出場し、打率3割5分2厘、9本塁打、44打点と全力プレーをみせ、結果を残している。
松坂世代初の名球会入りとなる通算2000安打まで、あと135本なので12球団の何処かが村田獲得に動くと思っていたが、プロの世界は個人の成績など関係ないようだ。
一方で、巨人時代の村田選手の評判は横浜時代同様に良くなかったようだ。特に幹部の評判が悪く、巨人を退団するときに他球団へ村田選手をとらないように働きかけた、というニュースも一部流れていた。
サラリーマンでは上司に睨まれると幾ら能力があってもつぶされたり、左遷されたりと言った話をよく聞く。また当方は上司に恵まれなかったサラリーマン人生だったが、ゴム会社では経営幹部の方に大切にしていただき、高純度SiCの事業を残すことができた。
また写真会社早期退職後、最初に声をかけてくれたのはゴム会社で、講演とちょっとしたコンサルティングを行っている。初仕事を提供していただいて大変うれしかった。サラリーマン社会のほうがNPBより温かいのだろう。
村田選手のプロ野球の実績は平均以上ではあったが、落合選手ほどではなかったのかもしれない。落合選手も一部幹部に評判が悪いといったニュースが流れていたが、40歳過ぎまでプレーするとともに監督も務めている。
それだけ落合選手の能力が高かった、と言えばそれまでだが、村田選手と落合選手と比較したときに負けていると思われる点は、個性の強さだろう。
村田選手はどこか中途半端なところが見え隠れする。例えばファンに見えている姿から幹部の評判についてここまでの悪さは想像できない。チャンスに弱いのは少し気なるが。
一方落合選手のあの「オレ流」は幹部から嫌われたとしても理解できる。ただし、「オレ流」には頼もしさと信頼性も伝わってくる点があるように思われる。
少なくとも数字ではそれなりの実績があり、またまだ現役として活躍できそうな選手でもクビになる、というプロ野球の厳しさは理解できた。
ただプレーオフ進出に向けて代打要員としてでもとるべき球団があったにも関わらず、再就職がかなわなかったプロ野球の現実には、少し失望した。
また村田の背番号を引き継いだ筒香選手が横浜で頑張っているように、どの球団も若返りが行われており、村田選手にとって厳しい時期ではある。
そのような時期ではあるが、どこか彼の殿堂入りを助けようとする球団が現れてほしかった。身から出たさびと言ってしまえばそれまでだが、仮に優等生ではなかったとしてもまだ活躍できそうな選手を干すところをファンに見せてほしくなかった。
原元監督はマスコミの前では温かい言葉を村田選手にかけていたようだが、見かけによらず冷たかったようだ。おそらく中村選手同様にNPBから追い出されるのだろう。お疲れ様、村田選手。
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