2018.08/19 他にもありそうなこと
居合抜きの昇段で金銭が動いていたという。すなわち最上位の段位がお金で売られていたのだ。ニュースを聞いて驚かなくなった自分に驚いている。
アマチュアボクシングの奈良判定が話題になったときも、あまり驚かなかった。格闘技には八百長が当たり前という感覚があったからだ。アマチュアではあってはならないことだけれども人生経験を積んだ結果「やっぱり」となるところは少し悲しい。
このようなたぐいの問題や事件でこの数年間本当に驚いたのは、STAP細胞の騒動で自殺者が出たことくらいである。実は昨年暮れから今年にかけて起きた品質データの捏造や無資格検査にもそれほど驚いていない。
人間が犬に噛みついたらニュースになるが、犬が人間に噛みついてもニュースにならない、と昔聞いたが、両方ともニュースにならなくなった時代である。しかし、それでも社会に問題提起がニュースの使命のごとく珍しくないことを報じているように見えてしまう。
資格や標準化規格などでお金儲けをしようというのは、今ではビジネスモデルの一形態となり、それがたとえ不適切であったとしても段位で金もうけをしようとする倫理とか道徳とかを考えない人が現れても不思議ではない。
当方は某国立大学の先生に学位を勧められて高純度SiCの速度論データを公開したら勝手に論文を出された上に寄付金を持って来いと言われた経験がある。だから居合抜きの昇段がお金で左右されるぐらいでは驚かない。
このようになってしまった感覚に自分で驚いているのだが、倫理観の基準が見えなくなった時代になったのではないか、と懸念している。
勝手に論文を出した先生は、「君の名前も入れておいたから学位の一論文として使える」と悪いことをしている感覚などなく、学位取得の手助けしたような態度で平然とされていた。
ただし、他の主査の先生から寄付金まで請求されると学位の権威を揺るがす問題となる。お金で学位を買うようなことをしたくなかったので、当方は潔く国立大学での学位取得を辞退している(注)。
その後、国立大学と変わらない学位審査料だけで学位を授与してくださった中部大学に感謝している。フルコースで試験もありびっくりしたが、学位授与式の荘厳さとともに本当に価値ある学位を取得できたと思っている。
段位や資格を取りたい人が、それにどのような価値を求めるかが重要である。学位だろうが、入学資格だろうがお金で自由にできる時代と皆が信じていれば、本当に取得すべき価値ある資格だけが残ってゆく。茶道や華道の師範の資格以外に女子短大の存在すらも危なくなってきた。
(注)本来は勝手に論文を書かれた時点で問題としなければいけなかったが、学位を取得できると言われ我慢した。これが良くなかった。甘く見られたのである。しかし、高純度SiCの速度論データはすべてゴム会社で行われた研究であり、この研究が行われた時に某国立大学など関わっていなかった。ただ上司がせっかくの研究成果だから学位を取ったらどうだ、と勧められ、ゴム会社が奨学寄付金を支払ってくれた。ところが途中で写真会社へ転職したことからおかしなことになった。写真会社からも奨学寄付金を持ってきなさいとなったわけだ。高純度SiCの速度論解析では、2000万円かけて2000℃まで1秒で昇温可能な超高温熱天秤を開発し特許出願を行っている。そしてこの熱天秤でデータを収集しているのだが、すべて当方のアイデアで実験も当方だけが行っていた。論文の筆頭著者の先生は、まったく研究の遂行にはかかわっていなかった。30年前のことだが、学位審査で本来はあってはならないことだ。ゴム会社の退職金もあったので奨学寄附金を支払って無難に某国立大学から学位を取得する選択もあったが、なぜか惨めな気持ちになった。研究まで献上し、審査料以上の金を払って取得した学位がどのような意味なのか考えると空しくなった。居合抜で高額な金を払って取得した段位を恥ずかしいとは考えなかったのだろうか。
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