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2018.09/05 基本

「私はずいぶん前から、この風潮に異論を唱えてきた。私の持論は「まず、素振り」。物事は基礎、基本、応用の順に学び、繰り返し、体にしみ込ませていく。素振りはバッティングにおける“基礎”だ。この基礎を飛ばして先に進んだり、フォームが崩れたとき、この基礎に立ち戻らなかったりするのは、間違っていると思う。」

 

これはスポーツ新聞のWEB版から見つけた野村克也氏の言葉だ。これは技術開発でも同様であり、素振りに相当するのは、現象の観察及び現象の体験である。現象の観察は科学でも重要であり、科学と技術の共通する基礎である。

 

小学校から観察の仕方を習う。また、小学校の宿題ではファーブル昆虫記の読書感想文を書かせられる。もしこうした基本をおろそかにしている小学校は、教師を減給処分にすべきだろう。

 

当方の小学校時代は運がよかった。科学教育に関心が高い社会が時代背景としてある。今のように教育の目的が曖昧となるような社会ではなく、科学教育という一本筋が通った時代だった。

 

授業でも毎週理科実験があった。また、高学年になれば、中学校の先生が講師を務める日曜理科教室に参加できた。教育で実験という現象の観察と体験を取り入れるのがカリキュラムとして当たり前の時代だった。

 

それが、教師への負担軽減やゆとり教育の流れの中で、科学の基本を忘れた教育が行われるようになっていった。子供の授業参観でびっくりした。科学教育も様変わりし、知識偏重になっていたのだ。

 

ひどいのは、実験をビデオ鑑賞で済ませているところだ。実験を実際に行うのと、それを見るのとでは、得られる効果が異なる。阿波踊り同様に実験をしなければ、損である。時間の無駄である。

 

実験を指導できないので、せめてビデオだけでも、と考えている先生がおられるなら、それも間違っている。2時間ビデオを見る効果よりも20分の実験で得られる体験の方がはるかに将来のためになる。実験は見るモノではなく、自らすべき行為だからだ。

カテゴリー : 一般

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